- 2018-12-25 Tue 00:00:00
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やわらかな風が、ずっと昔からの知り合いのように、なつかしく肩のあたりをいったりきたりしている。そんな日の午後のことでした。山の中腹には、レンガ造りのステキな家がありました。トコは、そこのお家のひとりっこ。彼女は、今日は朝からごきげんななめです。ママが街の遊園地に連れていってくれるはずだったんですが、お客さまがきて、だめになっちゃったんです。トコには、お客さまなんて関係ありません。「ママのうそつき」と、トコは庭の木に向かって、ちっちゃな手で、いっしょうけんめいに石を投げつけています。彼女の投げた石は、なかなかその木にはあたりません。トコは、ますますいらいらしてきました。
トコが、そんなにも遊園地に行きたがっていたのには、実はわけがあるんです。遊園地の入口を右に曲がったところに、赤や青や、黄色や緑、いろんな色の風船を売っているおじさんがいるんです。トコは、前にママといった時に、まっかな風船をひとつ買ってもらったんですけど、帰る途中にあやまって、空へ飛ばしてしまったんです。それ以来トコは風船のことばかり考えているんです。
「神様、あたし、あのまんまるの赤い風船が欲しい。あたしの大事なビーズの指輪をあげますから、どうぞあのおじさんのところへ連れていって」。トコは空の方をみて、いっしょうけんめいに、お祈りをしました。でもお客さまはとうとう帰らないで、夕暮とともに、冷たいコートをきた夜がやってきてしまいました。
トコは夕飯もろくに食べないで、自分の部屋にこもってしまいました。ママは、そんなトコがちょっと心配だったので、「ごめんなさいね。また今度の時につれていってあげますからね」と、やさしくトコに話しましたけれど、トコは、いっこうにごきげんななめです。いつもなら小犬のチロがじゃれると、自分も犬になったみたいに楽しそうにじゃれたり、チロをだいたりして喜んでいるトコなのに、今夜はチロがかわいい手をペロペロなめても、ぼんやりとしているだけです。トコはベッドに入って、あのまっかな風船のことを考えているうちに、いつのまにか、すやすやと眠ってしまいました。
夜中にふと目がさめると、トコは風船のいっぱいある部屋にいる自分にびっくりしました。白いベッドのまわりに、自分の体くらいもある大きな鏡の前に、とにかく部屋じゅう風船がいっぱいです。トコの欲しかったまっかな風船も、もちろんその中にありました。トコは、そんなに欲ばりな子でもなかったので、赤い風船をひとつだけとって、他のは外へ飛ばしてやりました。風船たちは、風にのってのびのびと空へとのぼっていきました。トコのもっていた赤い風船も、一緒にいきたそうでしたが、やっと赤い風船をもつことのできたトコは、そんなことには気づきません。もう嬉しくてしょうがありません。たんすからまっかなワンピースをだして、それを着て、風船をもって鏡の前に立ち、あっちへ歩いてみたり、こっちへ歩いてみたり、まるで、どこかの国の王女さまにでもなったような気持でした。赤い風船はトコにひっぱられるままについていきましたが、いま頃仲間たちは、お星さまを見ながら、空を飛んでいるだろうなと、本当はそればかりを考えていたんです。
トコは、しっかりとベッドのふちに赤い風船のひもを結びつけると、今度は安心したようすで、すっかり満足して朝までぐっすりと眠りました。
赤い風船は、窓から入ってくる冷たい風にあたりながら、じっと、トコが空へ放してくるのを待っていましたが、望みはかないそうにありません。風船は、もうすっかりあきらめていました。でも風船は、思い始めていたんです。「ぼくがちょっとがまんをすれば、女の子が喜んでくれるんなら、それもいいかも知れないな。それなら、せいいっぱいふくらんで、女の子を喜ばせてやろうかと……」と。
でもそのうちに風船は、だんだん体から力がぬけていくような気がしました。「あっ」と、風船は小さな声で叫びました。自分でも知らないうちに、少しずつ空気がもれていたのです。風船は、みるみるうちにたるんできて、空へ飛びあがる元気もなくなって、床に落ちてしまいました。風船には、もう空をとびまわることも、女の子を喜ばせてやることもできません。朝、トコが目をさますころには、もう、しわくしゃになってしまっていました。
トコは、びっくりしました。浮かんでいるはずの風船がみえないのです。トコは「あたしの風船、あたしの風船は……」と言って、ベッドからとび起きました。その時、足もとに落ちているしわくしゃの風船に気がつきました。「これがあたしの風船?」トコは自分の目をうたがいましたが、たしかにそうだったのです。そして、その時はじめてトコは気がつきました。本当は風船が仲間と一緒に、おもいっきり空へ飛びたかったことを。ずっとトコが放してくれるのを、待っていたことを……。トコは、そのことを思うと、あとからあとから涙が出てきて、とまりませんでした。「ごめんなさい、ごめんなさい!」と、大きな声で泣きじゃくりました。しわくしゃになった風船が、その時、ほんのちょっと微笑んだのには、トコは気がつきませんでした。
ママは、トコになにがあったのかなにも知りません。トコと風船の他には誰も知りません。
そのことがあってからです。トコが風船を買うと、いつでもほんのちょっとだけ持っていて「行ってらっしゃい」と放してやるようになったのは。
今日も遊園地のかたすみで、いつものおじさんが風船を売っています。
和泉 昇

1971年11月発行『ビルの谷間』より「赤い風船」。
17歳以前に書いたもの。謄写版(ガリ版)刷。
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Comments: 2
- 匿名 URL 2019-01-04 Fri 09:11:54
謹賀新年
昨年、和泉さんのtwitterを見つけました。
入院、ひとつの素敵な関係(陰ながら応援しずっと続くことを願っていましたが)の解消、引っ越し?等様々なつぶやきと数々の写真を拝読拝見しました。
個性的な濃い人生を飄々と歩まれている和泉さんの様子がうかがえました。
また、最近のつぶやきで紹介された「エポケー」という言葉は初めて知った言葉ですが、いいタイミングでこの言葉に出会えました。(浅い理解ですが)
年が明け、2019年が始まっています。
ほどよく元気で適度な速さで、和泉さんらしく進んでください。
(余計なお世話ですが)運動不足や老け込みにご注意を!
同年代の読者より。(^^♪
※コメントは非公開希望ですがそれは不可らしいので、匿名にします。ごめんなさい。
ちなみに、誕生日は8月12日、十代の頃実家で飼っていた犬の名前がチロ。(笑)- 和泉 昇 URL 2019-02-08 Fri 14:57:40
コメントに気づくのが遅れてごめんなさい。
何とか生き延びております(苦笑)。
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> 謹賀新年
>
> 昨年、和泉さんのtwitterを見つけました。
> 入院、ひとつの素敵な関係(陰ながら応援しずっと続くことを願っていましたが)の解消、引っ越し?等様々なつぶやきと数々の写真を拝読拝見しました。
>
> 個性的な濃い人生を飄々と歩まれている和泉さんの様子がうかがえました。
> また、最近のつぶやきで紹介された「エポケー」という言葉は初めて知った言葉ですが、いいタイミングでこの言葉に出会えました。(浅い理解ですが)
>
> 年が明け、2019年が始まっています。
> ほどよく元気で適度な速さで、和泉さんらしく進んでください。
> (余計なお世話ですが)運動不足や老け込みにご注意を!
>
> 同年代の読者より。(^^♪
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> ※コメントは非公開希望ですがそれは不可らしいので、匿名にします。ごめんなさい。
> ちなみに、誕生日は8月12日、十代の頃実家で飼っていた犬の名前がチロ。(笑)
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