- 2018-12-24 Mon 01:05:57
- 未分類
ビルの谷間
どうにも耐えられなくなって、ぼくが街の雑踏の中にまぎれこんだのは、10時半頃だった。六本木の街は、色とりどりのミニスカートやホットパンツ、ちょうちょや、星のついたシャツに身をかため、楽しそうにおしゃべりをして歩く女の子たち。長めにかった髪を風になびかせて、恋人と肩をくんで歩いていく男の子たち。和服姿の粋なおねえさんを連れた恰幅のいい紳士など、まだまだ夜はこれからという感じだった。
どこというあてもなかったので、人の流れのままに歩いていたが、急に静かなところへ行きたくなって裏通りへ入った。このあたりは、各国の大使館などがたちならび、時々犬の声がするだけで、まったくすきとおるように静かだ。
ふと音がする方をふりむくと、公園の小さなブランコに、ちっちゃな女の子が、ちょこんとすわっていた。こんな時間に、ちっちゃな女の子がひとりで遊んでいるなんて、どうしたのかなと思ったが、なんだか長い間会っていなかった友達に、ばったり会ったような、なんともいえないなつかしい気持ちになって、その女の子のとなりのブランコに腰をおろした。女の子は、ちょっとぼくの方をみたけれど、そのままだまって、ブランコをこぎはじめた。さびた金具の音が、ぎぃーっと、はりつめたあたりの空気をふるわせた。ぼくも静かに、ブランコをこいだ。頬にあたる風が冷たく快かった。二人とも、ひとことも話さなかった。どのくらいたったのかはわからない。女の子はまだブランコをこいでいたけれど、ぼくはまた、だまって雑踏の中にもどることにした。相変わらず表通りは、にぎやかな人通りでいっぱいだった。
また、その大都会のきらびやかな人なみの間をぬって歩いたが、何の気なしに、道路にぽっかりと口をあけた階段を降りて、地下にある小さなバーの扉を押した。たしか「エスポアール」とか書かれてあった。中は煙草の煙で、むんむんしていた。赤のうすいシャンデリアの明かりの中で、真黒のひらひらした洋服をきた女の人が「いらっしゃい」と気軽に声をかけた。
ボックスの方は、かなり酔いのまわった赤ら顔の男たちが、まわりにすわっている女たちと、なにやらふざけていて、時々「わっはっは」と大きな笑い声があがった。カウンターの方に腰をかけると、さっきの黒い服の女がそばにきて「おひとり」と聞いた。「ああ」と答えると、となりにすわった。さっきから氷を割ったり、シェーカーを振ったりして、たえず動いていたバーテンが、おしぼりを出して「何にしましょうか?」と聞いた。バーテンの後ろにずらっと並んだ色とりどりのびんの中で、最初に目についたウィスキーの角瓶と、ピーナッツを注文することにした。
となりにすわった女が「外の人通りはどうかしら?」と聞いた。「まあまあ」と気のない返事をすると、「私もいただいていいかしら?」と、ちらっとこっちをみた。別にいやな女でもなかったので「どうぞ」というと、水割りか何かを注文したらしい。商売のうまい女だと思った。あまり厚化粧でもなく、こがらな25、6才くらいの女だったと思う。グラスにつがれたこはく色の液体をグッと一口に飲みこむと、すぐに胸のあたりがあつくなった。つかれていたらしい。すぐに体中がかっかとなってきた。女のつけてくれた火で煙草を吸うと、青白い煙と一緒に、アルコールがふっと口からとびだしてくるような気がした。灰皿の上からたちのぼる煙草の煙は、ぼくの好きな感じの紫色なのに、口から出てくる煙は、ほとんどねずみ色みたいな白だった。大きなためいきと一緒に、その紫の煙をすってやると、なんか体中が、ずっと下の方にひっぱられるような気がした。
二杯目をバーテンにたのんだ時、後ろの方で扉のひらく音がした。ふとふりむくと、さっきの小さな女の子だった。その子はちょっと困ったような顔をして、あたりを見回していたが、ぼくを見つけると「おじちゃん」といって走ってきた。ぼくもちょっと困ったけど、「やぁ」といってとなりにすわらせてやった。いすが高いので足をぶらぶらさせていた。話をきくと、さっきからずっと、ぼくのあとをついてきたそうだ。母親と二人で住んでいるらしいが、目がさめたら母親がいなかったので、それで近くの公園で遊んでいたらしい。
いつも夜はひとりらしい。ひとりで遊んでいたけれど、急にさびしくなってぼくのあとをついてきたという。母親は、たぶん街で働いているのだろう。女の子に、オレンジジュースを注文してやった。
「ありがとう」といっておいしそうに氷のはいったジュースを飲むあどけない顔をみていると、たまらなく可愛くなってしまった。ずいぶんさびしかったのだろう。まだ赤い頬に、涙の流れたあとがあった。ぼくはもっていたハンカチを出して、女の子にネズミを作ってやった。手のひらにのせてチューチューと動かしてみせると、女の子は「ウフフ……」と笑った。そんな笑い声をきいていると、こっちまでどうしようもなく楽しくなってくるような気がした。
新しくつがれたこはく色の液体を、今度はいっきにのみほしたが、さっきのようにくらくらとはこなかった。女の子は、ぼくの作ってやったネズミで、ニコニコして遊んでいた。バーテンも、さっきの黒い服の女も、そんな女の子を、目を細めてじっとみていた。ぼくは気持ちよくなって、どんどん飲んだ。何度か扉があき、客が入り、また出ていった。
かなり時間がたったようだった。ほかのお客は、ずいぶん減っていた。そろそろ帰ろうとして、女の子をつれて椅子を立った。黒い服の女が「お愛想お願いします」といって勘定を払った。なんだか足もとがふらふらしていた。女の子は「だいじょうぶ?」と心配そうな顔をしてぼくの顔をのぞきこんだので、「ああ、だいじょうぶだよ」と胸をはってみせた。女の子は安心したように、先にたって歩いていった。
街の人通りもまばらだった。頭は、ぼうっとしていたが、どうにか女の子と手をつないでさっきの公園のところまで歩いていった。女の子は急に「ママ」と言って、かけ出した。母親が公園のあたりを探していたらしい。「ママ」と呼ばれたまだ若そうなその女は、女の子をだきしめると、「どこに行ってたの」と大声で言った。そしてぼくの方をみると、「なんですあんたは……こんな時間に……こんな小さな子をつれて……」。なんかあたりの人がびっくりするような大きな声で、いろいろと言われたらしい。まばらに通っていく人が、じろじろとぼくのことをみつめているのがわかった。ぼくはアルコールのせいもあって、頭がボーッとしていて何を言われたのか、はっきりとは聞きとれなかった。何かぼくにも言いたいことがいっぱいあったはずなのに、ひとことも言わないで、ぴょこんと頭を下げたらしい。母親は、女の子をつれて帰ろうとした。女の子も、しばらくぼくの方をみていたけれど、母親についていってしまった。
ぼくは、しばらくだまって立っていた。もうすぐにでも、そこにすわりこんで眠ってしまいたいような感じだったが、せいいっぱいの力をふりしぼって、しっかりと足をふんばって立っていた。そしてもうろうとしている頭の中で「ちがうんだ、これじゃいけないんだ、何かがちがうんだ……」と、何度も叫んでいた。
そして本当にもうぶったおれそうなのに、死んでもこうやって二本の足で立っていなきゃいけないんだ、絶対にたおれるもんかと、自分で自分にいいきかせて、静まりかえった街を歩きはじめた。本当にもの音ひとつない静かな街だった。
和泉 昇
1971年11月発行『ビルの谷間』より「ビルの谷間」。
謄写版(ガリ版)刷。



中学から高校に上がった、17歳以前に書いたものらしい。
引越し荷物の整理をしていて出て来た半世紀前の「記憶」。
なんとなく、クリスマスの近づいた夜に読み返していた。
「ぼく」という一人称を使って書いたのは、これだけかも。
精一杯突っ張っている自分に、面映ゆい思い(笑)。
どうにも耐えられなくなって、ぼくが街の雑踏の中にまぎれこんだのは、10時半頃だった。六本木の街は、色とりどりのミニスカートやホットパンツ、ちょうちょや、星のついたシャツに身をかため、楽しそうにおしゃべりをして歩く女の子たち。長めにかった髪を風になびかせて、恋人と肩をくんで歩いていく男の子たち。和服姿の粋なおねえさんを連れた恰幅のいい紳士など、まだまだ夜はこれからという感じだった。
どこというあてもなかったので、人の流れのままに歩いていたが、急に静かなところへ行きたくなって裏通りへ入った。このあたりは、各国の大使館などがたちならび、時々犬の声がするだけで、まったくすきとおるように静かだ。
ふと音がする方をふりむくと、公園の小さなブランコに、ちっちゃな女の子が、ちょこんとすわっていた。こんな時間に、ちっちゃな女の子がひとりで遊んでいるなんて、どうしたのかなと思ったが、なんだか長い間会っていなかった友達に、ばったり会ったような、なんともいえないなつかしい気持ちになって、その女の子のとなりのブランコに腰をおろした。女の子は、ちょっとぼくの方をみたけれど、そのままだまって、ブランコをこぎはじめた。さびた金具の音が、ぎぃーっと、はりつめたあたりの空気をふるわせた。ぼくも静かに、ブランコをこいだ。頬にあたる風が冷たく快かった。二人とも、ひとことも話さなかった。どのくらいたったのかはわからない。女の子はまだブランコをこいでいたけれど、ぼくはまた、だまって雑踏の中にもどることにした。相変わらず表通りは、にぎやかな人通りでいっぱいだった。
また、その大都会のきらびやかな人なみの間をぬって歩いたが、何の気なしに、道路にぽっかりと口をあけた階段を降りて、地下にある小さなバーの扉を押した。たしか「エスポアール」とか書かれてあった。中は煙草の煙で、むんむんしていた。赤のうすいシャンデリアの明かりの中で、真黒のひらひらした洋服をきた女の人が「いらっしゃい」と気軽に声をかけた。
ボックスの方は、かなり酔いのまわった赤ら顔の男たちが、まわりにすわっている女たちと、なにやらふざけていて、時々「わっはっは」と大きな笑い声があがった。カウンターの方に腰をかけると、さっきの黒い服の女がそばにきて「おひとり」と聞いた。「ああ」と答えると、となりにすわった。さっきから氷を割ったり、シェーカーを振ったりして、たえず動いていたバーテンが、おしぼりを出して「何にしましょうか?」と聞いた。バーテンの後ろにずらっと並んだ色とりどりのびんの中で、最初に目についたウィスキーの角瓶と、ピーナッツを注文することにした。
となりにすわった女が「外の人通りはどうかしら?」と聞いた。「まあまあ」と気のない返事をすると、「私もいただいていいかしら?」と、ちらっとこっちをみた。別にいやな女でもなかったので「どうぞ」というと、水割りか何かを注文したらしい。商売のうまい女だと思った。あまり厚化粧でもなく、こがらな25、6才くらいの女だったと思う。グラスにつがれたこはく色の液体をグッと一口に飲みこむと、すぐに胸のあたりがあつくなった。つかれていたらしい。すぐに体中がかっかとなってきた。女のつけてくれた火で煙草を吸うと、青白い煙と一緒に、アルコールがふっと口からとびだしてくるような気がした。灰皿の上からたちのぼる煙草の煙は、ぼくの好きな感じの紫色なのに、口から出てくる煙は、ほとんどねずみ色みたいな白だった。大きなためいきと一緒に、その紫の煙をすってやると、なんか体中が、ずっと下の方にひっぱられるような気がした。
二杯目をバーテンにたのんだ時、後ろの方で扉のひらく音がした。ふとふりむくと、さっきの小さな女の子だった。その子はちょっと困ったような顔をして、あたりを見回していたが、ぼくを見つけると「おじちゃん」といって走ってきた。ぼくもちょっと困ったけど、「やぁ」といってとなりにすわらせてやった。いすが高いので足をぶらぶらさせていた。話をきくと、さっきからずっと、ぼくのあとをついてきたそうだ。母親と二人で住んでいるらしいが、目がさめたら母親がいなかったので、それで近くの公園で遊んでいたらしい。
いつも夜はひとりらしい。ひとりで遊んでいたけれど、急にさびしくなってぼくのあとをついてきたという。母親は、たぶん街で働いているのだろう。女の子に、オレンジジュースを注文してやった。
「ありがとう」といっておいしそうに氷のはいったジュースを飲むあどけない顔をみていると、たまらなく可愛くなってしまった。ずいぶんさびしかったのだろう。まだ赤い頬に、涙の流れたあとがあった。ぼくはもっていたハンカチを出して、女の子にネズミを作ってやった。手のひらにのせてチューチューと動かしてみせると、女の子は「ウフフ……」と笑った。そんな笑い声をきいていると、こっちまでどうしようもなく楽しくなってくるような気がした。
新しくつがれたこはく色の液体を、今度はいっきにのみほしたが、さっきのようにくらくらとはこなかった。女の子は、ぼくの作ってやったネズミで、ニコニコして遊んでいた。バーテンも、さっきの黒い服の女も、そんな女の子を、目を細めてじっとみていた。ぼくは気持ちよくなって、どんどん飲んだ。何度か扉があき、客が入り、また出ていった。
かなり時間がたったようだった。ほかのお客は、ずいぶん減っていた。そろそろ帰ろうとして、女の子をつれて椅子を立った。黒い服の女が「お愛想お願いします」といって勘定を払った。なんだか足もとがふらふらしていた。女の子は「だいじょうぶ?」と心配そうな顔をしてぼくの顔をのぞきこんだので、「ああ、だいじょうぶだよ」と胸をはってみせた。女の子は安心したように、先にたって歩いていった。
街の人通りもまばらだった。頭は、ぼうっとしていたが、どうにか女の子と手をつないでさっきの公園のところまで歩いていった。女の子は急に「ママ」と言って、かけ出した。母親が公園のあたりを探していたらしい。「ママ」と呼ばれたまだ若そうなその女は、女の子をだきしめると、「どこに行ってたの」と大声で言った。そしてぼくの方をみると、「なんですあんたは……こんな時間に……こんな小さな子をつれて……」。なんかあたりの人がびっくりするような大きな声で、いろいろと言われたらしい。まばらに通っていく人が、じろじろとぼくのことをみつめているのがわかった。ぼくはアルコールのせいもあって、頭がボーッとしていて何を言われたのか、はっきりとは聞きとれなかった。何かぼくにも言いたいことがいっぱいあったはずなのに、ひとことも言わないで、ぴょこんと頭を下げたらしい。母親は、女の子をつれて帰ろうとした。女の子も、しばらくぼくの方をみていたけれど、母親についていってしまった。
ぼくは、しばらくだまって立っていた。もうすぐにでも、そこにすわりこんで眠ってしまいたいような感じだったが、せいいっぱいの力をふりしぼって、しっかりと足をふんばって立っていた。そしてもうろうとしている頭の中で「ちがうんだ、これじゃいけないんだ、何かがちがうんだ……」と、何度も叫んでいた。
そして本当にもうぶったおれそうなのに、死んでもこうやって二本の足で立っていなきゃいけないんだ、絶対にたおれるもんかと、自分で自分にいいきかせて、静まりかえった街を歩きはじめた。本当にもの音ひとつない静かな街だった。
和泉 昇
1971年11月発行『ビルの谷間』より「ビルの谷間」。
謄写版(ガリ版)刷。



中学から高校に上がった、17歳以前に書いたものらしい。
引越し荷物の整理をしていて出て来た半世紀前の「記憶」。
なんとなく、クリスマスの近づいた夜に読み返していた。
「ぼく」という一人称を使って書いたのは、これだけかも。
精一杯突っ張っている自分に、面映ゆい思い(笑)。
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