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Home > 渡辺啓助、渡辺温、渡辺済 > 温さんのこと(及川道子)

温さんのこと(及川道子)


W.W.W.展の記念冊子から、どうしても引用させて戴きたいものがある。
温さんの死後、女優の及川道子さんが書かれた文章である。

私が戴いた温さんのインバネスは、こんな物語をも吸い込んでいる筈だから。


渡辺さんに会う記
及川道子
 

oikawa       oikawa02



 空は紺碧に晴れて、そよ風にゆらぐ街路樹の柳の若葉が、涼しそうな陰影を鋪道に投げていた。
 初夏の銀座通りである。
 道子は母と弟の士郎と三人で、買物への帰りを新橋に向かって歩いていた。
 途中、ある額縁屋へ立寄って、美しいというよりも神々しさを思わせる山と川の絵
──夕陽が山の端の雲間からパッとさして、静かな川面にキラキラと金色に映え返っている──
を暫く眺めてから、再び鋪道に出て急ぎ足に新橋の方へ歩き始めた。
 「アッ!」
 道子は思わず声を立てると、その場に立ちすくんでしまった。
手にしていた荷物はバタバタと足許に転がり落ちた。
 コツ、コツ。
 向こうから渡辺さんが歩いて来る!
 山高をかぶって、片手にステッキを握り、いつものように首を心もち左へかしげたあの渡辺さんが!
 今では、もう此世にいない筈のあの渡辺さんが!
 道子はあまりのことに立ちすくんだまゝじっとその姿に見入った。
 が、次の瞬間、あの渡辺さんが生きていてくれたのだとわかると、
道子は嬉しくて嬉しくて思わず我を忘れて、その側に飛んで行き、胸深く顔をうずめて泣き崩れてしまった。
「もう、どこへも行かないでね。いえ、行こうたって離さないわ。これからは何でも云うことを聞くから、
そして誰よりもあなたを好きになってあげるから、どうかもうどこへも行かないでね」
 まるで子供が父親に甘えるように、
道子はわれながらいじらしい感情に胸をふるわせながら訴えるのだった。
 それまで、たゞ黙って道子の言葉に耳を傾けていた渡辺さんは、
つと優しく道子の手をとると、二人は何時のまにか元来た道の方へ歩き出していた。
 暫く行って──何処をどう通ったか、またそこがなんという町かハッキリわからなかったが
──間もなく二人は、何だか白く乾き切った広い広い大通りの傍に建っている家に着いた。
その家は入口からいきなり階段になっていて、二人はその二階へ上がって行った。
 「どこへも行かないでね、いつまでも道子の側にいてね」
と繰り返し繰り返し、たのみつゞけたが、
それに対して渡辺さんは一言も云わずに黙って道子の顔を見守っているだけだった。
 どの位二人はそうしていたろうか。
暫くして階下の入口の戸を誰かトントンと叩く音がしたので、
道子は急いで階段を下りて行って見ると、そこには不思議なことに、
これも今はもう亡くなられた筈の小山内先生がヌーッと立っていられるではないか──
 「渡辺君、迎えに来たよ」
 先生はそう云いながら、丁度そこへ下りて来た渡辺さんを両手で抱きかゝえるようにして出て行こうとされた。
道子は急に堪え難い悲しみに襲われて、
「先生、どうか渡辺さんを連れて行かないで下さい。お願いですから、お願いですから」
と眼に一杯涙をためながら渡辺さんにとりすがった。
 が、いよいよ先生に連れられて戸口を出ようとするとき
渡辺さんは追いすがる道子の方を静かに振り返って、
その寂しい青ざめた口元に微笑をうかべながら、始めて口を開いた。
 「ねえ、道ちゃん、恋愛は一生の仕事ではないよ。
この人生にはもっともっとなさなければならない仕事がある筈だ。
──道ちゃんには芸術の仕事が残されている。
今はそうした愛とか恋とかの感情に心を奪われている時ではなく、
お互いに芸術の道に精進すべき時だ。
そしていつか僕等がなすべき務めを果し静かな安息の日が訪れた時に、
きっと二人はまた会うことがあるだろうからね──」
 そう云ったかと思うと、先生と渡辺さんの姿は、
その広い真白な、果てもない一本の道を後をも振り返らずに次第次第に遠ざかって行った。
 そしてやがて、遙か地平線の彼方から湧き上って来た夕陽を浴びて
神々しいばかりに照り輝いている金色の雲の光の中へ
二人の姿は吸い込まれるように見えなくなってしまった。
 道子はそこに立ちつくしたまゝ、何かしら澄み切った寂蓼と感激とに胸をしめつけられて
「ええ、わかったわ、わかったわ」
と何度も何度もうなずきながら、
かすかに遠雷の音の響いて来る遠い雲の峰をいつまでも眺め入っていた。

 これは二三日前の夜、私がはっきり見た夢でございます。
今日たまたま編集者から、故渡辺温さんの思い出をもとめられましたので、
ともあれ先ずこの不思議な夢をそのまゝ記して見ました。
── 一九三四、一、七 ── 

(初出/雑誌『オアシス』昭和九年二月号)

★2008年 mixi 日記より

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