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2011年09月 Archive
渡辺啓助氏のこと ─ ひらがなで語り掛けたくなる人
- 2011-09-30 Fri 15:00:00
- 渡辺啓助、渡辺温、渡辺済
「友人」って、本当に少ないかも知れない。
「知人」は、たくさんいるのだけれど。
お世話になった方を「先生」と呼ぶことも、滅多になくなった。
■
渡辺温さんのオマージュ展を見たこともあり、
このところ、作家の渡辺啓助氏のことを考えている。
http://bit.ly/reo8WS
■
若い頃に「鴉」という題の短詩を書いたことが縁で、
高輪のギャラリーでお会いしてから、もう30年近くが経った。
鴉
修行僧の顔付で
岩を
蹴っていった
屋根裏で
盗んできた
目玉をころがしては
遊んでいる
(詩集『耳の形をした盃』 和泉昇 1980年刊に所収)
■
しばらくして、彼の主宰する同人誌『鴉』に、
何か書いてみないかと誘われ、ぼんやりとしたまま入会。
いつの間にか、同誌の編集を手伝うことになっていた。
以後2002年に、101歳で亡くなられるまで、
公私にわたり楽しくお付き合いをさせて戴いた。
これまで出会った方の中で、最も長命だった方である。


昭和22(1944)年 40代頃の啓助氏。 晩年の啓助氏。
阿部正氏撮影(『宝石』第2巻第3号所収)
私が初めて彼にお会いしたのは、このふたつの写真の中間くらい(笑)。
■
net 上に、写真などもたくさん載っていて、情報はたやすく手に入る時代になった。
彼についての関連記事などを読んでいたら、あっと言う間に時間が……。
■


同人誌『鴉』は、2004年のNO.19が最終号。『渡辺啓助追悼号』とした。
各界の錚々たる方々に、寄稿をお願いすることも出来た。
今日は、そこに私自身が書いた「言葉」を載せ、
啓助氏については、また改めて書くことにしよう。
なんとなく、
ひらがなで語り掛けたくなる人だった。
■
わたなべけいすけせんせいへ
わいわい がやがや むれてる ときも
たった ひとり は きえぬ もの
なぜか いくらか しん とは しても
べつに きどって いる ことも ない
けいけん ばかり が だいじ じゃないが
いま の いま には なにか が あって
すみ の ほう にも なにか が あって
けさの あめ にも ながされぬ
わたしが わたし を やめたと しても
たしかな もの など どこにも ない
なに が ただしく えらい とか
べんり や とく など いみ も ない
けいさん なんか は もう
いいよ
すきな こと だけ
けんめい に
せんせい に さよなら しなかった
(『鴉』 NO.19 2004年1月刊行)
twitter のこと
- 2011-09-05 Mon 11:03:38
- 未分類

「夜の底で、泡のように呟いてみる。」
同日に、もうひとつ。
「真夜中のメロンは、極上の味がする。」
★2011年06月09日(木) に、
そのように書いて始めてみた twitter を、 2ヵ月ほどで止めることに。
★2011年08月06日(土)
「twitter を、どのように使おうか」と、まだ考えている。
RT @kafkaf_: 生まれつき耳の聞こえない友人が
「Twitterでタイムラインに流れ込む文字の洪水を見たときに初めて
『うるさい』という感覚が分かったような気がするよ」
とうれしそうに語ってくれた。
自分の呼吸にあった、リズム、ペースを、焦らずに探している。
その間に呟いた「言葉」を時間のある時に拾い、
このブログの中に、少しだけ保管して置こうと思う。
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