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2011年02月 Archive
名付けようのない気持ち ( あがた森魚 『月刊 TV Qpora Purple Hz 』)
- 2011-02-04 Fri 01:55:09
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昨年は、なかなかライヴに出掛けられず、
自宅の PC で済ますことが多かった。
暮のクリスマス前夜には、阿部薫の演奏を、
そして大晦日には、あがた森魚さんの「歌」を聴いた。
むちゃくちゃな「聴き方」かも知れない。
どんな頭の構造なのかと、訝しく思われるかも知れない。
好きなジャンルなど、ない。
ジャンルなどではなく、聴きたい時に、聴きたいものを聴く。
ただ、それだけのことだ。

2011年1月20日。
あがたさんが USTREAM 放送『月刊TV Qpola Purple Hz』を始めるにあたり、
公開録画をするという連絡を戴いた。しかも映像は、
毎月のように拝見していた『月刊映画』初代監督の岡本和樹さんが撮るという。
久しぶりにおふたりに会いたくなり、思い切って出掛けることにした。

会場は『月刊映画』に何度も映っていたが、とうとう閉鎖することになったという鋳物工場。
川口元郷にある芝川鋳造の事務室というのにも、気持ちが動かされた。
時代の変化、流れに、消えざるを得ないもの。
そのことが、心の奥で反応し「何か」が動いた。


初めて行く場所だったが、行くと決めたら、距離なんて気にならない。
電車とバスを乗り継ぎ、自宅を出る時からの道中すべてが、もうライヴだ。


放送に遅れないように、少し早目に会場への道を歩いて行くと、
「流れ星のゴロー 会場」という文字を、黒いテープで貼っている青年がいる。
「まだリハーサル中なので、もう少し温かいところで待ってからの方が」と、
親切に教えてくれる。
会場入り口にも、手書きの貼り紙が。この感じが、何とも言えず心地良い。
すでに待っていらっしゃる方達もいて、先に工場の敷地内を見せて戴く。




向こう側のビルの群れを背景に、ひっそりと暗い工場。
心に、重いものが動くのを感じる。郷愁でも、感傷でもない、名付けようのない気持ち。
あがたさんは、いつも、このことを感じながら歩いていたのだな、と、あらためて思う。


気持ちを振り切るように戻って来ると、工場のタンクに梯子が付いているのが見える。
何故なのか、急に「頭」ではなく「身体」を動かしたくなり、
無様な格好のままだが、思い切って梯子を登り始める。
リハーサルの様子が見えるかも知れない、とも思ったのだ。


あがたさんと岡本さんの姿が見えた時、ほっとする自分がいて不思議だった。


いよいよ会場に。事務室は、休憩室でもあり、食堂も兼ねていたという。
明日は、もう一度だけ溶鉱炉に「火」を入れるとも。
事務所で数曲歌った後、工場の方でも放映をするので、足場などの下見に。




あがたさんは、準備のための紙面に、ずっと眼を通している。
彼は、どんな場合でも決して気を抜かずに、最善を尽くす人だ。
岡本さんが、その間に挨拶をしているが、あがたさんのチェックがなかなか終わらない。
そんな様子が見られるのも、ライヴの醍醐味かも知れない(笑)。


いよいよ放送も始まり「お話」と「歌」が。
お話は、この場所で第1回を放送することの何かを伝えたいのだが、
簡単な言葉には纏められない。そう、決して纏められなどはしないのだ。
この場所を選んだこと。
彼の感じている「何か」は、この現場で確実に伝わったと思う。






会場を工場に移してからの彼は、歌いまくった。
「歌」でしか伝えられないものが、冷たい空気を震わせ「熱」になった。

会場は、ご近所の人たちだけでなく、遠くからもたくさんの人が詰め掛け、立ち見も。
「どこで、こんな情報を手に入れるのだろう」と、声に出して言う声も聞こえて来た。
年末に初めて聴かせて戴き、
その歌の上手さに驚かされた 越路よう子 さん も、いらっしゃっていた。
お笑いの女装の下にある彼の素顔は、実に「いい顔」をなさっていた。

あがたさんのファンは実に気持ちのいい方が多く、何度かのライヴや、
お嬢様の「絵」の展覧会などでもご一緒した大島さんにもお眼に掛かれた。

その彼が、タンクに登った私のことを、ご自身の mixi 日記に書いて下さり、
当日の natsu とふたりの写真も、送って下さった。

タンクの写真も使わせて戴き、いい記念になりました。
ありがとうございました。

■追記
あがたさんの「流れ星のゴロー」は、
彼が出演しTBS系列で放映された『深夜食堂』(第五話)に因んだものだが、人気も高かった。
話の内容だけでなく、役者の演技も、小林薫さん、劇作家、演出家でもある岩松了さんなど、
それぞれにいい味を出している。
ゆっくりとお時間の取れる方は、是非ご覧になってみては、と思う。

http://www.youtube.com/watch?v=M5WnyVdeZKg
( you tube は、削除されていたので、最初の部分だけ )
「選ぶ」ということ。
- 2011-02-01 Tue 06:43:00
- 未分類
『フィナール国際美術展』東京展を終えて思うこと。
シカゴで生まれ、学び、その後パリに渡り、
永年に亘って彫刻作品の制作を続けて来た今回展の審査員・キャロリーヌ・リー。
そのキャロリーヌと、日本人が守り、持ち続けて来た「感性」との違いについて。
また、作品を「選ぶ」ということについて、このところ、ずっと考えていた。

しかもその「違い」は、アメリカやフランスと日本の文化のみに関わるだけでなく、
作家キャロリーヌ・リー個人の資質や生き方にまで関わることなのだと思う。


キャロリーヌ自身が、これまで学び、制作して来た作品を見て、
今回の入選や入賞の作品を見ると、そのことが強く感じられる。
一人の人間が、作家が、他人の作品を「見る」。
全存在を掛けて「選ぶ」というのは、しかし、そういうことなのだ。
そのことこそが、「真摯な」態度なのだと思うのだ。

日本人特有の、繊細さ、流れ、自然、を尊重することよりも、
作品に「意志」や「強さ」があること。どこかに「光」を求めていること。
漠然とながらだが、そんな印象を持った。
その違いを、しっかりと受け止め、それに迎合するのではなく自身を検証すること。
そこからしか、本当の一歩は、始まらないような気がする。

他人の眼、風評、言い換えるなら「権威」のようなものによって動くのではなく、
自分自身の「感性」に従って、ものを見、感じること。
この、当たり前のことが、実は「生きる」ことと同じだと思うのだ。


以前の「日記」にも写真を載せたが、今回展の会場入り口に置いた芳名帳は、
ジャンルを超えるという意味をも含め「五線譜」のノートを使用した。
その初めの見返しに、キャロリーヌに記念の絵を描いて貰った。
終わりにもまた、書いてくれないかと頼んでみた。それが、この絵だった。
ジャンルを超えるという意味をも含め「五線譜」のノートを使用した。
その初めの見返しに、キャロリーヌに記念の絵を描いて貰った。


終わりにもまた、書いてくれないかと頼んでみた。それが、この絵だった。



自画像なのだろうか。良く見ると右下に文字がある。「only lonely only」。

一瞬、私の中にある「視覚の記憶」と響き合うのを感じた。
京都で前衛陶芸団体「走泥社」を作り、伝統の世界から抜け出し、
オブジェとしての陶芸という新しいジャンルを切り開いて生き、60歳で逝った八木一夫。


30年も前に見た、彼の「白い箱」という作品に模様のように描かれた文字「alone」。

洋の東西を超え、作品の形式をも超え、ふたりの作家の中にある、
何かを「選ぶ」ということの「厳粛な感性」のことが、ふと、頭を掠めた。

日本で作られたジャムは、滑らかな舌触りなのだが、
キャロリーヌが、お土産に持って来てくれた「ジャム」の実には粒々の野趣があり、
慣れると、これもまた、癖になる。


中身は、もうとっくに食べてしまったが、
壜の蓋に被せられた紙が、実に繊細で美しく、大切に取ってある。

キャロリーヌ。
たったひとりの審査員という、大役。本当に、お疲れ様でした。
あなたのお陰で、たくさんのことを感じ、考えることが出来ました。
心から、ありがとう!

■キャロリーヌ・リー ( Caroline LEE )
http://
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