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2010年12月 Archive

クリスマス前夜に、阿部薫を聴く。

  • Posted by: 和泉 昇
  • 2010-12-24 Fri 03:51:00
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部屋の片付けをしていて、一冊の本に、眼を奪われる。


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          『阿部薫覚書』(1949-1978)編集/阿部薫覚書編纂委員会


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わたしはあなたの演奏なんか、まったく興味がない。
わたしにとってのあなたは、ただの男だから。
(「阿部薫のこと」鈴木いづみ『カイエ』1979.1)


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きみと別れたら、もう二度ときみみたいなひとに会えないと思ったからだ。きみのエネルギーの量はすごい。しかもそれが集中されている。コンクリートの壁をギリギリ回転しながらつらぬくようなところがある。なぜかっていうと、それは、きみがキチガイだからだ。


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ジュン(阿部薫)の自己確信の深さは、痛んだ奥歯みたいにゆるぎないのだ。ちょっとさわっただけで(わたしがからかっただけで)激烈な反応をしめす。ゼッタイにまちがってない、と彼はいいはる。それだけつよい抵抗があるのは、よほどの重症なのだ。手がつけられないほど、病状がすすんでいるのだ。
気が狂っているのだからもう相手にすまい、とわたしは決めた。それがまた、彼には不愉快なのだった。わたしが無関心になることを彼はゆるさなかった。いっしょにいてぼんやりしているとおこる。彼でなく花びんを見ているだけでも腹を立てる。いつも、いつでも、真剣に彼に注目していなければいけないみたいなのだ。


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彼には重大な障害がある。
彼は全世界をのみつくしたいのだ。それほど飢餓感はひどいのだ。


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「きみがパニックをおこしはじめたときは、おもしろくなかった。これしきのことで、と思った。だって、愛するってのはそんなに生やさしいものじゃないのだ。ぼくが死ねといったら、きみはその理由もきかずに死ぬくらいでなきゃだめなんだ」

ぜんぜん愛してなんかいない、わたしは。彼はどこでどう勘ちがいしたんだろう。それに、条件としては相手に要求しすぎている。


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「きみのヒステリーは、どんどんひどくなった。とどまるところを知らなかった。実際に目が見えなくなった。きらいな男を見たくなかったのだ。きみの憎しみは徹底していた。それで、きみはぼく以上にきまじめな人間だということがわかった」

まじめでさえあればいいってもんじゃない、とわたしは思った。

……疲れる。現に、わたしはこんなに疲れている。ジュンを憎むのにも疲れた。


鈴木いづみの自伝的長編小説『ハートに火をつけて! だれが消す』からの引用。
(阿部薫の死後6年、1983年 三一書房刊)


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阿部が死んで、鈴木いづみは呪縛を解かれたような、つよい解放感を味わったに違いない。それはやがて、この世で唯一の理解者を失ってしまった激しい喪失感にかわっていく。彼女は、阿部の演奏テープを聴き、阿部の本を書き上げる作業中に、自死した。
(「鈴木いづみの描いた阿部薫」沢田恭子)


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鈴木いづみ。
1949年静岡生まれ。10代の頃から小説を書き、上京してからはモデル、ピンク女優等をしながら執筆を続け、1970年文学界新人賞候補。その頃からマスコミで精力的に活躍。一切の権威めいたものを信用しない一種偽悪的な文体は、当時の大学生などに大変人気があった。1973年阿部と知り合い、結婚。一女をもうける。


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人と人、男と女が、本気で向かい合う。
その場所でしか、決して見えないもの。


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クリスマス前夜に、阿部薫を聴く。


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http://www.youtube.com/watch?v=RvsI_CYT0BY



古干(Gu Gan)氏のこと 4

  • Posted by: 和泉 昇
  • 2010-12-09 Thu 05:57:00
  • 未分類

古干氏の個展は、2005年11月9日から15日まで、
伊勢丹新宿店のアートギャラリーで開催された。

また、前日の11月8日には、
目黒区の東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)に於いて、
第5回異文化コミュニケーションフォーラムが開かれた。
その時のテーマは「漢字文化を世界に発信する!」。
古干氏も、放送ジャーナリストで元NHK解説委員の平野次郎氏と、
「漢字の可能性」についての対談で参加することになった。

パンフレットに彼が書いた文章が載せられている。

とても興味深いので、ここに記録して置きたい。


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鑑賞するということ  古干

書画の鑑賞では、鑑賞者がその主体とならなければならない。

中国の古人曰く、「書道、絵画、詩文を鑑賞するときの境地として、無我と有我のそれがある」。

無我の鑑賞においては、鑑賞者は書家・画家が描いたものや詩人の主観的な意図を感じ取ろうとする。これは受動的な鑑賞であり、受け入れることであり、作者の意図に沿うことにほかならない。

一方、有我の鑑賞とは、鑑賞者を主体とした考え方で、作者の意図とは関係なく、自分がその作品をよいと思えば、その作品はよいものとなり、また逆に自分がそれを面白くないと思えば、それは面白くない作品となる。小鳥のさえずりを心地よいもの、美しいと思えば、聞けばよいのであって、小鳥が何をさえずっているかは問題ではない。あなたが小鳥のさえずりをどう聞くかが大事なのだ。それは題名のない音楽である。

有我の境地においては、人々は自由であり、平等である。作者と、鑑賞者が一緒になって一つの作品を作り上げることになる。

私は書道作品、現代抽象画やイメージ絵画の鑑賞では、有我の境地が無我のそれよりも高位にあるように考えるが、果たして皆さんはどう思われるか……。
(2005年8月25日 於:北京)


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「見ることは、創ること」。さらには「読むことも、創ること」。
ずっと私が、感じ、考えて続けていることを、古干氏も、彼自身の言葉で書いている。
誰かから与えられるのではなく、自分自身にとって感じ取る「作品」。
そうでなければ「芸術」なんて、全く意味のないもののように思えるのだ。


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公募展の「賞」についても、選考するものと作家との、共同作業のようなものなのだと思う。作家は、審査員に自分の作品の持つ「感性」が伝わるかどうかを、逆に審査するくらいの気概で望んで貰いたいのである。他人の眼を通過することで初めて自分に見えて来るものもあるだろうし、思いがけない価値を発見して貰えることだってあるだろう。


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今の世の中のいわゆる「メジャー」というもの。それら全てを否定する気は全くないし、有名だから悪いなどと子供じみたことを言う気もない。しかし、それらのかなり大きな部分が、テレビなどのマスコミュニケーションの力によって価値、流行が創り上げられ、自分自身の感性が探し出し、選び取るというよりも、我々はその流れを刷り込まれ、知らぬ間に乗せられているような気がしてならないのだ。当然、そこには莫大な費用が資本として投入され、操作されている部分さえ感じられるのは、私だけだろうか。


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古干氏のことを書きながら、今回の企画展のこと、書の世界のことを考えて来たのだが、彼の作品自体を、まだ紹介していなかった。大英博物館に収蔵されている作品2点と、その1点に付された解説を上げて置こう。解説については、あくまで参考までに。彼自身も書いているように「有我の境地」で直接、鑑賞して欲しいと思うから。


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「開け─古の国の門/1994」100×100cm


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「赤い金の時代/2000年」68×102cm

古干は新しい千年紀の到来を記念して、過去20年にわたる中国の革新運動の成功を祝って「赤い金の時代2004/10/19」と呼ばれる作品を仕上げた。用紙自体が中国を表し、滑らかな部分は平野を、中央のねじれた効果を生み出しているものが山脈を意味している。全体的な色調は赤であるが、それは政治的な意味合いを示しているわけではない。赤は単に中国では伝統的に祝賀を表す色である。黒い文字は「木」を表す中国語の古い形となり、小さいものには「果実」を意味する点が付いている。果実の中には既に熟して繁栄を表す秋の黄金色になっているものもある。作品のタイトルはこれまでに中国が達成したものを要約するだけでなく、この国が21世紀に新しい黄金時代に入るであろうという希望を実現している。
(現代中国の書道芸術/大英博物館出版社)


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次の日記からはまた、企画展の内容に、直接ふれて行けたらと思っている。


古干(Gu Gan)氏のこと 3

  • Posted by: 和泉 昇
  • 2010-12-08 Wed 22:33:00
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ひとわたり、活動の資料を見せてもらった後、
彼が私に、どうしても聞いてみたいことがあると言う。


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「和泉さん。今回私は北京から東京に来て、日本の書家の作品を色々見せてもらったのだけれど、どうしても分からないことがある。日本は、とても自由な国なのに、なぜ作品が、みな同じような表情をしているのでしょう。我々は『自由』を手に入れ、やっと個性的な活動を始めることが出来たのに……」

もちろん通訳の方を通しての話なので、こんな「日本語」のニュアンスではないのかも知れない。もしかしたら彼は、団体の指導者を頂点にした、技術のみを競う同じ「顔」の沢山の作品群を見て来た後だったのかも知れない。

何人か、会うことが出来た人たちに同じ質問をしたけれども、
彼自身が、なるほどと納得出来る答えは得られなかったと言う。

私は一瞬、言葉に詰まった。

日本の「伝統」や「縦社会」のことを、どのように説明したら、彼に理解して貰えるのだろう。
伝統を大事にすることは、たぶん中国でも同じようにあるのだと思う。
けれども新しい仕事に対しての保守的な「壁」は、いったいどこから来るのだろう。

技術、権威、プライド。
私は必死に頭のなかで答えを探しまわり、的確な言葉を拾おうとした。

「古干さん。たぶん、こういう事が根本にあるのだと思います。日本では書の『作品』を売るという経済行為が、何か卑しいことのように思われる風潮があるのです。画家が絵を売るのは画廊が間に入ることで、だいぶ一般化されては来ましたけれども。したがって日本では、書家は『書』を売ることではなく、技術を教えることで食べている人が多いのです」

私の頭の中に「婆(ばば)は、風流は売りませぬ」と言った連月尼の言葉などが、ちらりと浮かんでは、また消えた。

「教えるということは、お弟子さんから教授料を戴き、その人数を増やすことで、生活を安定させる。それなのに、お弟子さんが自由勝手にやり始めたら、食べられなくなってしまう。先生と同じように考え、同じような作品を創るための技術を身に付けてもらうことが、生きるための経済を支えているのです。もしかしたら新しい感性で『芸術』の作品を創ることは、経済にとってはむしろ邪魔なものにさえなりかねない。つまり、教えることを『職業』にしているからではないでしょうか」

通訳の方が中国語に翻訳して下さるのを待ち、
私は、古干さんがどんな表情を浮かべるのかを、不安とともに見つめた。

「なるほど、そういうことでしたか。今の和泉さんの説明で、やっと私にも理解出来ました。中国で私たちは、職業は他に持っていて、芸術の作品は自由に創っていましたから」

理解出来たことに対する「笑顔」で、そう応えてくれた古干さんの顔に、しかし、少しだけ寂しそうな影が走ったのは、私の思い過ごしではなかったように思う。


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「伝統」も「技術」も、大切に継承し残さねばならぬものだと思う。
自由とは、好き勝手、気まま放題で手に入るものでもなく、
技術を身に付けることによってはじめて可能になるものもある。
しかし、その視点からはずれるものに対しての異常なほどの締め付けは、
「経済」という実にやっかいなものと結びついているのだ。


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誰しも、人間は食べて生きて行かねばならぬ。
「経済」は、決して軽くは扱えぬものである。
しかし、それだけで人間は本当に幸せになれるのか。

芸術とは、文化とは、作品とは……。
絵空事ではなく、今本気で、そのことを考えている。


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技術のみに重きを置く「書」の縦社会。
「書」を「うまいね」から「いいね」の世界へ。という今回の企画は、
無意識に、そんな意識に対する反抗心から生まれたのかも知れない。

しかし、いまだに問題は何一つ解決などされてはいない。
むしろ現在の厳しい経済情勢の中で、どんどん深みにはまっている。

しかもそれは、単に「書の縦社会」に留まらず、
すべての「経済」と「芸術、文化」の間に横たわっている、
途轍もなく大きな「溝」のような気がしてならない。

古干(Gu Gan)氏のこと 2

  • Posted by: 和泉 昇
  • 2010-12-08 Wed 01:25:00
  • 未分類

山の上ホテルで、資料を見せて戴きながら、
彼が「自由」という「翼」を手に入れたことで、
伸び伸びと羽ばたき出した様子が眼に見えるようだった。

そして羽ばたきの後には、きらきらとした軌跡が。


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特に、1996年 Mouton Rothschild のエティケット(ラベル)に採用されたことは、
彼の名を広く世界に広めるために、どれほど大きな力になっただろう。

このワインのエティケットに採用される作家は毎年、世界から、たったひとり。


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1947 Jean Cocteau / 1948 Marie Laurencin / 1952 Leonor Fini / 1955 Georges Braque / 1958 Salvador Dali / 1964 Henry Moore / 1969 Joan Miro / 1970 Marc Chagall / 1971 Wassily Kandinsky / 1973 Pablo Picasso / 1975 Andy Warhol / 1976 Pierre Soulages / 1983 Saul Steinberg / 1985 Paul Delvaux / 1990 Francis Bacon / 1993 Balthus / 1996 Gu Gan / 1997 Niki De Saint Phalle

過去に採用された作家名をざっと眺めるだけでも、綺羅星のごとく。

その貴重なワインの一本をわざわざ持って来て、
サインと年号を入れ、御礼にと、下さったのだ。


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表現したかったのは「心」を表す5種類の文字を組み合わせ、
5つの大陸にまたがる人類のきずなを象徴するものとも……。

エティケットのフランス語では、
coeur à coeur (率直に、胸襟を開いて) と書かれてある。


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作家にとって、自分の「作品」の価値が認められること。
しかも名声を得た後ではなく、苦難の道を歩いている時ほど、その評価が、
どれほど力になるものかが伝わって来るようで、私自身も本当に嬉しかった。


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本当のところは誰にも分からず、「伝説」なのかも知れないが、
彼が貧しかった頃、長い道を歩き続けるのに草履が減ると困るので、
懐に草履を入れ、我慢出来なくなるまで裸足で歩いていた……。

その頃に出会ったのが、現在の奥様だという話。


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すでに飲んでしまったけれど、大切に保管している「空」のボトルを見ながら、
そんな話も、何となく思い出した。


(続きは、また次の日記で)

古干 (Gu Gan)氏のこと 1

  • Posted by: 和泉 昇
  • 2010-12-07 Tue 21:14:00
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書の企画展を開催したことに伴い、毎日様々なことが頭の中を駆け巡る。
古くから考えていたこと、新しく視野に入って来たこと。
思いつくままに、少しずつでも書いて置こうと思う。


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私がまだ『書道美術』という雑誌の編集をしていた頃、
「編集後記」に、こんな文章を書いた。


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 『書道研究』(美術新聞社刊)の10月号に美術評論家の東野芳明氏が「コップの中の嵐」というタイトルで、談話を寄せている。そこで氏は、書だけの問題ではないがと断りながらも、作り手の側の妙な縄張り意識に受け手がまきこまれて、(作品の鑑賞に際し)自由な見方がさまたげられているのではないだろうか……と疑問を呈し、更に「伝統的な芸術の世界の中での前衛運動などを見ていると、どうもその世界の中だけの抵抗──それはそれで貴重なのだが──という気がする。いわば「コップの中の嵐」で、そのガラスが割れてしまって、現在のいろんな芸術と自然に並べられた時に、作品そのものが現在の目に耐えられるかというと、たいてい風邪をひいてしまうのではないか……」と、かなり厳しい意見を述べていたのが印象に残った。
 いわゆる書の世界の内部では、人間関係や利害関係等も絡み、なかなか思ったことを口に出せない状況があるように思えて仕方がない。その上、日本人特有の「忠」や「義」、「道」といった観念が本来の意味を離れ、誤った形で、二重三重に絡みついて来る。それを真正面から受け止めるには、膨大なエネルギーと、知性が要求されるであろうことは想像に難くない。新しい書の創造の根底には、日常の人間関係から始めねばならぬという、最も厄介な問題が横たわっている。しかし、そこを飲み込んでしまっては、何ものも生まれてはこないであろう。
 今月号は「中国現代書画学会代表作家展」の特集となった。彼等の日々の闘いは、決して他人事ではあるまい。
 尚、私見で恐縮だが、古干氏の「樂」の作品等、東野氏の言う「現在の芸術作品」と並べてみたい誘惑に駆られる数少ない作品、と思えたことの幸せを付け加えておきたい。
(『書道美術』1987年11月号)


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今読み返してみると、自分の文章の「青臭さ」が少々鼻につくけれど、
その時、私の印象に残った古干氏の作品が、この「樂」だった。


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当時の中国は「芸術の世界」でも、やっと解放が始まり、
少しずつではあるが自由な制作が出来るようになった頃。
この「編集後記」が縁で、古干氏ご本人に会うことになるとは、
当時はまだ、まったく思ってもみなかったことだった。


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これを書いてから18年後の2005年、私あてに電話が。
11月9日から15日まで新宿の伊勢丹で古干氏が個展をするとのこと。
ついては、古干氏が私に会いたがっていると言う。
こんな小さな文章を、彼は覚えていてくれたのだ。


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早速、日取りを決め、お会いすることに。
当時、まだ会社員だった私に古干氏がスケジュールを合わせて下さり、
昼休みの時間に御茶ノ水の山の上ホテルで待ち合わせることになった。

お持ち下さった資料などを拝見し、
自由に制作が出来るようになった18年の間に、
彼は驚くべき仕事を積み重ねていたのがわかった。

簡単に、彼の経歴を書いておく。

古干(Gu Gan)
1942年中国湖南省長沙市に生まれる。1962年中央美術学院専門学校卒業。大学に入学するも、健康上の理由から退学。長年、人民文学出版社美術編集室の職に就く。中国美術家協会会員、中国茶禅学会理事、中国現代書画学会の初代会長、世界書道家協会栄誉顧問を歴任。1987年から1993年にかけて、数回にわたってボン大学、ハンブルク美術学院などの招請を受け、中国現代書法についての講演、講義を行う。作品は、フランスの名門ワイン Mouton Rothschild の、現代世界名画シリーズ(シャガール・ミロ・ダリ・ピカソなど)の1996年ラベルに選ばれているほか、6点が展示・収蔵されている大英博物館では2002年の新年カードにとりあげられるなど世界的に評価が高い。


          ワイングラス


長くなりそうなので、続きはまた、次の日記で。


          ワイングラス


【追記】
2005年に、東野芳明氏は逝去。
その東野氏についての評伝を書いていた米倉守氏も、
その完結を俟たず、2008年に逝去されてしまった。

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