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2010年05月 Archive
幸福な夜(びん博士のライヴ)
- 2010-05-29 Sat 05:15:00
- びん博士

びん博士のライヴ。
期待していた以上に、 いい気持ちで帰って来た。
■
博士の歌は、 もちろん上手いし、 声もいい。
詞の言葉も、 面白い。
しかし、 ただそれだけではないのだ。
7万本の壜のコレクションが示すように、 博士は、 博士自身の世界を生きている。
そのことが、 歌や、 会場や、 ご本人から、 しっかりとこちらに伝わって来るのだ。
■
人は、 本来ひとりひとりが、 それぞれの感受性や、 自分の世界を持っている。
なのに、 社会というものは何故か、 皆が同じように個性を殺して生きることを、
無言で 「 強要 」 しているように感じられてならない。
けれど彼の歌を聴いていると、
「 あっ、 これで、 いいんだよね 」
そんな気がして来るから不思議になる。


■
会場となった 渋谷の La mama の天井からは、
いつものように、 沢山の壜が吊られていたのだが、
スクリーン に映し出された映像を見ているうちに、 おっ、 と思った。
壜博士ご本人が、 帽子をかぶり、 マントを羽織って、 空中に揺れているのだ。
天井から吊られた ラムネ の壜と、 もうひとつの壜の影とが重なり、
博士が、 宙に浮き、 漂っているように見えたのだった。


演出かな、 偶然だったのかな。
どちらにしても、 何とも楽しい映像だった。




舞台の左手前に置かれた 「 明かり 」 も凝っていた。
紙の箱の中で、 何人かの男たちが、
何やら話し込んでいるような 「 幻想 」 に捉われる。

ライヴ会場の空間自体が、 完全にひとつの世界を作り上げていた。
■
演奏も、 あらかじめ公表されていたメンバーのほかに、 チェロ の 江原望 さん。
博士が教鞭を執っている 武蔵大学の学生・渡辺レナ さんもコーラスで加わり、
どこか信頼するもの同士の、 温かい雰囲気を醸し出していた。

歌は、 心 を伝えるもの。
そんな気分にさせてくれる幸福な時間だった。
■
前回は、 ライヴ終了後に、 会場でゆっくりお話も出来たのだが、
昨夜は、 その後に用事が入っていて、 先にお暇するしかなかった。
NHKの取材の途中なのに、
片手を上げて挨拶をして下さった、 その自然な感じにも、
博士の人間としての大きさが感じられた、 気持ちのいい夜だった。

壜博士、 ありがとう。
そして、 お疲れさまでした。
■
何だか、 作文のような文章になってしまったが、
たまにはこんな 「 日記 」 も、 まあ、 いいだろう。
■昨日の 「日記」 。
http://noboruizumi.blog103.fc2.com/blog-entry-63.html
★2010年 mixi 日記より
精神界通信 part Ⅶ (びん博士)
- 2010-05-27 Thu 04:48:00
- びん博士
今夜は、 びん博士 ( 庄司太一氏 ) のライヴ がある。
■
奥様とお二人で 『五感の薔薇展』 も見に来て下さり、
カーネーション や カスミソウ をあしらった、
薔薇以外のお花をお持ち下さった唯一の方だ。
自宅に持ち帰った薔薇たちが、 生命を細くしていく中で、
この花束だけは、 いまだに元気に輝いている。
■
このところ、 なかなか、
知人たちの ライヴ にも顔を出せないでいたのだが、
今夜は、 久しぶりに出掛けようと思っている。

精神界通信 part Ⅶ
闇の中を漂う者たちのために、
いざ、魂の再生のために
日時 : 2010年5月27日(木) open 18:00 start 19:00
場処 : 渋谷・LA MAMA(東京都渋谷区道玄坂1-15-3 B1)
ボーカル・ギター:びん博士
ベース:西部年彦
ピアノ・アコーディオン:園田容子
ギター:椙元広雪/ドラム:阿保拓
前売2,500円 当日2,800円 学割 2,000円(学生証提示)(+1 drink オーダー)
問 : La mama / phone:03-3464-0801 (15:00-22:00)
■
今夜は、 NHKの取材も入るらしい。
NHK総合テレビ 『 こんにちはいっと6けん 』 ( 関東地方 )
放映日 : 6月4日 (金) 午前11時05分~11時53分
「 人生わたし流 」 コーナー 約11分
■
それにしても、 DM の中の びん博士。
いったい何を、 反省しているというのだろう (笑) 。
■前の日記も、 一緒に。
http://noboruizumi.blog103.fc2.com/blog-entry-85.html
★2010年 mixi 日記より
深海に生きる魚たち (かわなかのぶひろ&びん博士)
- 2010-05-27 Thu 04:19:00
- びん博士
今夜は、 久しぶりに びん博士 の ライヴ に出掛ける。
前回 びん博士 の ライヴ に出演した映像作家、
かわなか のぶひろ 氏 の 「在り方」 について書いて置こう。
もっと早くに書いて置きたかったのだが、 時間が足りなかった。

思い出の貴重な 「 映像 」 を スクリーン に映し、
手回しで充電する蓄音機をまわしながらの、
びん博士 との ゆったりとした対談は、 実に趣があり、
走り去る時間の流れに、 魔法を掛けたようであった。
これは、 びん博士 と かわなかさん の お人柄 によるものだろう。
しかし、 ゆったりとしているばかりではなく、 彼らは自分から行動している。
■
『 映画芸術 』 no.431 に、 かわなかさんの インタヴュー記事があり、
その中の言葉が、 長いこと、 頭を離れなかった。
以下は、 かわなか さん の 「 言葉 」 から。
■
大島渚の最初の本 『 日本の夜と霧 大島渚作品集 』 に収録された
シナリオ 『 深海魚群 』 の巻頭に、
「 深海に生きる魚たちは 自ら輝かなければどこにも光はない 」
という意味の エピグラム が掲載されていて、
「 そうだ、自分でやらなければならないんだ! 」
と妙に昂揚した気分になって 8ミリフィルム を撮りはじめました。
ご興味のある方は、 下記を。
http://
■
「 深海に生きる魚たちは 自ら輝かなければどこにも光はない 」
びん博物館を訪問させて戴いた時に、 静かに輝いていた あの壜たち。
あの日に見た 「 光 」 が、 私の頭の中で、 この言葉に重なって甦ってくる。

正確に言うなら、 大島渚の 「 言葉 」 が、 かわなか さん に伝わり、
それが びん博士 との結びつきを呼び、 そこから私にまで流れ着いたことになる。
■
自分自身を、 しっかりと見つめ、
大切なことを、 大切に扱っている人たち。
いい人のまわりには、 いい人が集まっている。
■
さて今夜は、 どんな世界と、 めぐり会えるのだろうか。
■かわなかのぶひろ氏
wiki
■びん博士 & 前回のライヴ関係の日記
http://noboruizumi.blog103.fc2.com/blog-entry-87.html
http://noboruizumi.blog103.fc2.com/blog-entry-86.html
http://noboruizumi.blog103.fc2.com/blog-entry-85.html
★2010年 mixi 日記より
『 深夜の電話 』 ( フランク ・ ウォールファールのこと )
- 2010-05-06 Thu 19:08:00
- 未分類
昨夜、 かなり遅い時間に電話が入った。
近頃は基本的に、
深夜の電話には出ないことにしているのだが、
ずっとお世話になっている画廊からだったので、
たぶん不機嫌な声だったと思うが、 携帯電話に応答する。
「 もしもし 」
「 夜分に ごめんなさい 」
「 何でしょう 」
「 1日に フランク が亡くなりました 」
「 えっ 」
頭の中が、 真っ白に。

フランク ・ ウォールファール ( Frank WOHLFAHRT )、 1942年生まれ。
フランス、 ストラスブール出身の画家で 67 歳だった。

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以前から企画の手伝いをさせて戴いていた海外交流展などで、
彼が日本へ来た時に何度か会い、
個人的にも仲良くしていて、 とても親近感のある画家だった。
私はフランス語が話せないので、
通訳がいない時は、 片言のフランス語の単語と、 英語。
それでも分からない時には、 さすが絵描き。
絵を描いて、 あとは身振り手振りと、 顔の表情で、
何とか話が通じるのだった。
一時期、 彼は、 川岸に繋いだ船の中に住んでいて、
自分で船の内部を 「 作品 」 として作り上げ、
後に売却して、 田舎に城のような家を買った事など、
彼の話は、 いつも、
私の頭に、 とびっきり 「自由な風」 を吹き込んでくれた。




彼は自宅で、 エドガーという名前のカラスを飼っていた。
この名前は勿論、 ポーの物語詩 『大鴉』 の連想と思われる。
エドガーは、 フランクのことが大好き。
彼と一緒に、 ワインも飲む。
客が来ると、 やきもちを妬いて威嚇するという話も聞いていたのだが、
そのエドガーも、 今年の初めに亡くなったのだという。





彼の絵や版画は、 男女の絡む構図が多く、 なかなか日本では売れにくい絵だった。
なぜ日本人は、 「 エロス 」 を、 真正面から捉えようとしないのだろう。

今月24日から30日まで、 パリの Espace Commines で開催される
サロン・ド・メ展に出品される、 フランクの絵画。


以前、 服飾関係の仕事をしている彼の恋人も一緒に来日したことがあり、
日本の 「 焼鳥屋 」 で食べた美味しい 「 スズメ 」 が忘れられず、
彼女がパリに帰った後に開いたブティックの名前は、 なんと 「 Suzumé 」 だった。
彼は何よりも日本が好きで、
東京に滞在の時には、 馴染みにさせて戴いている
銀座の 「 貴族 」 でも何度か一緒に飲み、
お店の新年の葉書にも、 掲載させてもらった記憶がある。
朝は早くから起きて、 目をきらきら輝かせて築地へ出掛け、 食糧の探索。
何故か自動販売機の 「 ヤクルト 」 がお気に入りで、
「 何でこんなに小さいの? 大壜が欲しい! 」 と、
茶目っ気たっぷりに、 ウインクした顔が忘れられない。
美術大学の教授であるにも関わらず、 名前の通りにとても 「 フランク 」 。
決して偉ぶるところがなく、 親子ほどの歳の差がある日本の若い画学生とも、
対等の立場で話をする 「 作家 」 だった。


元気だったフランク(左)、 同僚の画家パトリックと (2007.5)。
数年前に のど に癌を発症し、 大手術をしたのだが、
何とか回復して、 作家活動も元気に続けている、 という話を聞いていたのに。
フランクとの思い出が、 次々と、 頭の中を駆け巡る。
彼は、 ペール ・ ラシェーズ ( Cimetière du Père-Lachaise ) に、
本日葬られるという。

心から彼の冥福を祈ると共に、
一瞬、 一瞬を、 大切に生きたいと思う。
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