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『源氏物語』私家版覚書(E.G.サイデンステッカー)

                                             
 
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(墨田川の花火)



『源氏物語』上野榮子訳
私家版・覚書               和泉 昇                  


「僕は、日本も、日本人も好きじゃありません!」
いきなり、大声で怒鳴られた。
怒鳴った声の主は、エドワード・G・サイデンステッカー氏。
怒鳴られたのは、私。
二十五年ほど前、初めて彼にお目に掛かった時の「第一声」だった。
たまたま知り合いになった木版画家・福田裕氏が、サイデンステッカー氏の秘書役をやっていた縁で誘われ、墨田川の花火大会へ出かけた時だった。 

 
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(E.G.サイデンステッカー氏 2005年撮影)


川端康成、谷崎潤一郎、永井荷風などの小説を英訳し、『源氏物語』全巻の英訳を完成させて世界に広めたサイデンステッカー氏のことを考え、てっきり彼は、日本が好きだからなのだろうと思い、
「サイデンさん(皆もそう呼んでいたので)は、日本のどんなところがお好きなのですか?」
と、尋ねた時のことだった。
「僕は、昔の日本人が好きです。
 美意識も、生き方も。
 今の日本では、ありません」
彼が静かに話し始めるのを聴いて納得し、やっと、ほっとして落着くことが出来た。
何か失礼な事を言ってしまったのかと思い、びっくりしてしまったのだ。

その日の花火はとても美しく、終わった後も、サイデンさんが馴染みの居酒屋へ連れて行って下さり、気さくに楽しいお話を沢山聴かせて戴いた。
サイデンさんの怒鳴り声と共に、「花火」が、現場でしか感じることの出来ない、腹の底に響く深い「音」でもあることを知ったのも、その時だった。

いきなりサイデンステッカー氏のことを書いたのは、この時の彼との出会いの「縁」が、今回の上野榮子様の『源氏物語』全巻口語訳の仕事を引き受ける最初の伏線だったように思うからだ。

この本が出来上がるまでには、沢山の「縁」の繋がりがあったように思う。
覚え書きとして書いておきたい。

話を最初に私に持ち込んだのは、高校時代の友人で作家の鳴海風君だった。彼は会社勤めをしながら、江戸時代の数学「和算」をテーマに歴史小説を書いていて『円周率を計算した男』で第十六回の「歴史文学賞」も受賞している。
彼が「ちょっと相談があるのだけれど」と、話し始めたのが、この『源氏物語』だった。鳴海君は何冊かの本を出している作家であるだけでなく、勤め人であること、またテーマが異色であることなどで、講演も引き受けていた。
そんな縁で知り合いになった数学者から、母の本を出版したいのだけれどもと相談を受け、私に繋いでくれたのだった。
その数学者が、京都大学の大学院で教鞭をとり、一般社会への数学の普及のために「日本数学協会」を設立した上野健爾先生だった。
数学者と聞いていささか尻込みしたが、とにかくお会いしてお話を伺うことに。
お会いしてみると、実に教養豊かな方で、私の考えていた数学者のイメージとは、全くかけ離れていた。若い頃にはチェロを弾かれていたり、岩波新書で国語学者の大野晋氏との共著『学力があぶない』という本を書かれたりもしていて、とても若々しく行動的な方だった。
お話では、いわゆる作家ではない主婦が書いた本を、一般の書店で売るのは難しいかも知れないので、自費出版にしたい。けれども、出来るだけみすぼらしくない立派な本にしたい。ということだった。お話を伺っているうちに、自分の中で、この本を作らせて戴きたい気持がどんどんと膨らんで来るのが感じられた。
五十歳を過ぎた頃から、職業とか肩書きとか、プロとかアマチュアとか、そういうものの比重がどんどん意識の中で薄れ、人間は、この世に生まれ、いずれ死んで行く「はかない」生き物だという気持が大きくなって来ていた。

『源氏物語』は、その気分にぴったりの本だった。
しかし、いつも読みかけては途中まで。全巻を読み通したことはなかった。この仕事に関われば、必ず最後まで読み通すことになる。個人的には、そんな甘い考えもあった。
自分からお願いをして、なんとか訳者の上野榮子氏に会わせて戴くことにした。


              
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(左から、訳者・榮子氏、夫の佑爾氏、数学者の健爾氏)



日野のお宅は、ゆったりとして、時間の流れ方が違っていた。
きちんと手入れをされた庭には雀たちが遊び、榮子氏が分け与えた餌をついばんでいた。
ご本人が亡くなる少し前に作らせて戴いた『日本の美・その夢と祈り』で、詩人の宗左近氏が書かれた「人間と雀は、友達である。まさに宇宙の」という「まえがき」の一節も頭を掠めた。
これほどのお仕事をなされた榮子氏は、生真面目で神経質な方なのかなと思っていたのだが、とても穏やかでお茶目、若い頃にはやっていた歌なども、きさくに歌って下さるような楽しい方だった。しかし一方で、何気ないお話の中に突然諳んじている漢詩が出て来たりして、思わず気持を引き締めたりもした。
御主人で発行者の、佑爾様にもお会いした。
高齢にも関わらず、背筋のきちんと伸びた佇まいと、明確な話し振り。
特に、そのよく通る声には驚いた。囲碁と謡曲をたしなまれていると伺う。
お二人と、健爾先生とのお話のやりとりを伺っているうちに、どうしても、この本を作らせて戴きたい気持が抑えられなくなっていた。
ここには、あのサイデンステッカーさんが話していた、古き良き「日本」が、しっかりと存在していたのだった。

この『源氏物語』口語訳は、実に足かけ十八年もの持続した時間が費やされていること。しかもそれは、訳者の榮子様が、お母様を看病し続けながらのお仕事であったこと。また看病をなされている間、御主人の佑爾様は、ずっと文句のひとつも言わずに一人暮らしを続けられ、身の回りの事や食事の支度も全部御自分でこなされていたこと。自費出版には結構経費も掛かるのだが、健爾先生や、弟の眞資さんが、ぜひ出版をと勧められたこと。そのひとつひとつが、今の日本や日本人には失われてしまっていることのように思われたのだ。

幸い、佑爾様、榮子様にも何とか信頼して戴くことが出来て、いよいよ制作に取り掛かることになった。とは言え、実は私も会社勤めの身の上、作業は平日の仕事が終わってからの夜。あとは、休日を使うしかなかった。


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原稿用紙に万年筆で丁寧に書かれた文字の原稿は、実に四二〇〇枚。そのひとつひとつの章が、丁寧に表紙を付けられ、糊で貼り合わせ、紐で綴じられてある。これをばらばらにしなければ作業が進められない。
本冊の製本とともに、ばらばらにした原稿自体を、もう一度、和本の製本では定評のある山田大成堂の御兄弟、慶七様、繁様に頼み、和綴じの形で残すことを相談させて戴き、諒承を戴く。
山田様には、古いもので、こういう時のために取って置かれたという貴重な紙も提供して戴くことが出来た。
表紙の題箋の文字は、著者の榮子氏ご自身に書いて戴いたが、少し華やかな色も欲しくなり、その文字の下に、サイデンステッカーさんとも縁があり、仕事仲間で書家の「花伝房」手代木和さんに、印を彫ってもらい捺すことにした。
それを、五つの帙に収め、やっと心が落ち着くことになった。

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その様子を、これまた友人の写真家・中山豊氏に撮影してもらい、記録にとどめることも出来た。
「自費出版」は、いわゆる「経済原理」で動いている社会の基準では出来ないことを徹底的にやることだ。そんな反骨心のようなものが、心の中に芽生え初めていたようにも思う。昔の日本人ならきっと、そうしただろうと思ったのだ。

いよいよ、本冊の制作に取り掛かる。
日常の会社の仕事が終わってからの時間では、とても校正などの編集作業は無理である。健爾先生が、その部分を担当して下さることに。とは言え、健爾先生も大学での授業の他に、御自分の研究や著作、学会のお仕事、それに新しく立ち上げられた日本数学協会など、多忙を極める身の上。校正のみならず文章の推敲にまで協力して戴いた猪俣美郁子様という強力な助っ人を、京都でお願いして下さった。
また、こちら東京の制作側では、テキストの作成やレイアウトにも、話を聞いて協力を申し出てくれた優秀な編集者でもある村岡真理子さんには、大変な作業を強いることになった。現在では、コンピューターで普通に組むと、点や丸は、自動的にその行の一番下の部分や、頭から二字目に来るようにセットされるのだが、それだと、どうも見にくい。活字の時代のように文字が横に揃っている方が、見た感じも綺麗だし、読むときに、とても読みやすいのだ。彼女は、その無理な願いを理解し、校正の度に変わる点や丸の位置をその都度、コンピューター上の手作業で、調整してくれたのだった。大変に時間のかかる時代に逆行する作業でもあった。
だが、途中まで関わっていてくれた彼女が、突然、極度の腹痛という病に襲われる。
その時にはまた、テキストの打ち込みや、面倒な組み方に対する考えを理解する友人たちが、助けてくれた。アート・コーディネイターの増田洋子氏と、編集者の岩崎寛氏のお二人。途方に暮れていた時に、即座に協力を申し出て下さったおふたりには、感謝の申し上げようもない。


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本の大きさ、組み方などが決まってからは、いよいよその装丁を考えることに。友人の鳴海君からも装丁については、うるさく言われていた。自費出版の場合の装丁は一歩間違うと素人っぽくなり、それだけで見向きもされなくなることがあるからだ。
プロの画家に頼むことも考えたが、費用も嵩む。あれこれと悩んでいるうちに、一枚の料紙に出会った。全体は渋いのに金銀の箔が輝いている。これを利用しよう。金銀の両方を箔にすると、本の場合少し華美に過ぎてうるさくなる。結局、文字の黒と、金の部分を箔に。見返しの黒の紙は、榮子氏の「はじめに」の文章「人々は、喜びも、苦しみも、迷いも、闇もそのままに、何時の世にも六道輪廻に身をまかせて」の中の「闇」という言葉に触発され、現在の時点でもっとも「黒」の深い色が出る紙を選択した。かなり高価な紙なのだが、ここだけは一点豪華主義で押し通すことにした。おかげで、金の箔が引き立つことになったように思う。

ここまで書いて来て気づくのは、この本は、著者の榮子様から始まって、途中の制作は、ほとんど全ての人たちが、何か自分の仕事をしながら、本職の食べるための職業とは別の部分で、「心意気」のようなもので出来上がって来たということだ。勿論、その最終段階では、専門的にすべての印刷や、紙の手配、製本、箔押し、函の制作などの仕事を的確に取りまとめて下さった、ベテラン、山下忠一氏のお力添えがなければ、実現するものではなかったことは言うまでもない。


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(伊井春樹著『世界文学としての源氏物語』に、サイデンステッカー氏から戴いた榮子氏へのサイン)


こうして何とか作業を進めているときに、サイデンステッカー氏にそのお話を伝え、榮子様にサインを戴くことも出来た。
ところが昨年、彼は、大好きだった散歩中に転倒して頭部を強打。
それが原因で八月に、帰らぬ人になってしまった。

とうとう、完成した形を見て戴くことが出来なかった。
サイデンさん、あなたに、この本を見て欲しかった。
日本にも、まだ、こういうあなたの好きだった日本人がいることを。

二〇〇五年に、お話を伺ってから完成するまでに三年。
榮子様が執筆を始めてからは、何と三〇年という月日が経っている。

本冊が出来上がったところで、この話を聞きつけた「日本経済新聞」から取材があり、四月十八日の文化欄に榮子様の記事が掲載された。その記事を読んだ読者の方から「どこでその本は買えるのか。どうしたら読めるのか」と、一日で二〇〇件もの問い合わせがあったという。
そんなこともあり、同社の出版局が独立した「日本経済新聞出版社」が、この本を改めて一般の方が読めるように出版して下さることが決まった。
たぶん、秋には形になるだろう。

諸説はあるが、今年、二〇〇八年は、我が国の記録に『源氏物語』が明確に現れる年(『紫式部日記』寛弘五年・一〇〇八年十一月一日)から数え、実に一千年を迎えたことになる。
人間の「生きた時間」をたっぷりと吸い込んだ『源氏物語』は、それだけの重みを持っている「本」なのだと思う。


                    ワイングラス


2008年05月06日の日記に、
制作に当たらせて戴いた上野榮子訳『源氏物語』全八巻と、新聞記事のことを書いた。

http://noboruizumi.blog103.fc2.com/blog-entry-283.html


その経緯は後ほどと書きながら、また4ヶ月が経ってしまった。
函を作り、付録用の原稿をやっと書き上げたので、載せて置くことにする。

■日記周辺の「言葉の断片」(和泉)

アメリカで『源氏物語』は、
ずいぶん長い間「エロ本」として、
読まれておりました。
それでも、OKだと思っております。
エロスも人間の大切な一部ですから。

紫式部は、凄い女人ですね。
それに引き換え、
登場人物の男どもの、どうしようもなさ。
現代も全く変わらないので、溜息が出ます。
ただ、様々な解釈があって、
光源氏のことを、当時は皆で読みまわしながら、
笑い飛ばしていたのでは……。
というものもあり、そう思って読むと、
また違う一面も見えて来ます。
要するに、何でも崇め立てないで、
自分の眼で見ればいいんだ、ということですね。

「バーコードが装丁の美しさを壊す」というのは本当で、どうしても気になります。
煙草の「ハイライト」のパッケージなどで有名な和田誠さんは、 これを嫌って、
ISBN (International Standard Book Number 国際標準図書番号)の数字だけを記載しているようです。
今回の日本経済新聞出版社からの発行にあたっても、
バラ売りはせずに、セット販売のみになるので、
外函だけに記載してもらえるように、お願いをしました。
いずれにしても、「経済原理」最優先の「効率」ばかりに走る日本は、
もう昔の日本ではないような気がしております。

映画「ラストサムライ」での、
小雪の抑えた演技が忘れられずに、
何度か映画館に足を運びました。

日本人が持っていた「心」と「美意識」。
取り戻したいものです。

日本人の「心」は、まだあると思います。
ただ、状況がそれを許さなくなっている。
もしかしたら「国」などというものは、
一度きちんと滅んでしまった方がいいのかも知れません。

世界中の「国」という「概念」がなくなれば、
ひとは、もっと優しくなれるかも知れない。
という「妄想」です。
現実には、様々な困難がきっとあるでしょう。

「マッチ擦るつかのまの海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや」
という寺山修司さんの歌の心情です。

植物は全く詳しくないのですが、
「紫式部」って、
葉っぱが鋸状になっているみたいですね。

『源氏物語』を書いた紫式部も、
結構、恐い「鋸」を持っていたように思います。

「日本の良さ」
ひとりひとりが大切にしようと思っても、
社会の「仕組み」や「構造」がびくともしないと、
なかなか大変だなぁ、と思います。
「数」の論理しか、まかり通らないのなら、
深く潜って一人で行動するしかありません。

ハワイと日本のイメージって、
ずいぶん違いますね。

サイデンさんは、長い間、
ハワイと日本、半分ずつ住んでいました。
いつも両方を感じていたのかなぁ。

昔の日本。
たとえば「明かり」は、畳の上の燭台から。
決して「上」からの光ではなく、
むしろ「下」から反射して「揺れる」淡い光だったと思います。
それだけでも、結構、
人間の「考え方」や「感じ方」が変わるのではと思われます。
言葉にも、かなり影響するでしょうね。


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