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渡辺啓助、渡辺温、渡辺済 Archive

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GALIMATIO 意味不明なたわごと



ひとつ前の日記で、
『アンドロギュノスの裔 渡辺温 オマージュ展』 について書いた。

今度は、その展覧会の記念「小冊子」について、書いて置こうと思う。
 




この冊子、大・中・小を組み合わせ、重ねたものを縦にすると、
渡辺温さんの「ONG」が浮かび上がるようになっている。


kinen01.jpg 

kinen02.jpg



因みに、その一冊ずつにも、文字が入っている。
 

kinen03.jpg 


kinen04.jpg  kinen05.jpg



私が書かせて戴いた文章は、小の「G」に掲載されているのだが、
裏には「ALIMATIO」の文字が。

GALIMATIO は、エスペラント語で「意味不明なたわごと」らしい(笑)。
あと二冊の文字については、それぞれに楽しみながら調べてみて下さい。

ここには、制作の渡辺東さんと、中山豊さんのエスプリが、ぎっしり詰まっている。
こんな冊子に書かせて戴いたことを、本当に有難く思う。

せっかくなので、私の「意味不明なたわごと」を、ここに記録して置くことに。
軽い気持ちで引き受けたことを、少しばかり申し訳なく思っている。





やさしい窓に薔薇色の灯がついた。

和泉 昇

『可哀相な姉』は、演出家、プロデューサー、そして作家でもあった久世光彦さんが、
新聞のエッセイなどで、繰り返し愛でていた、渡辺温さんの作品の題名だ。

この「可哀相」という言葉。

「可哀相なあたしの煙突!」
今回読み返し、改めて好きになった『赤い煙突』の中にも出て来る。

この言葉を、何度も自分の原稿に刻み込まずにはいられなかった温さんの、
物書きとして、人間としての、心の「揺れ」。

温さんの作品には、いつも、この「揺れ」が描かれているように思う。

何かを「可哀相」と感じる、こまやかで人間的な、温かみのある「心」。
またその「心」自体を、突き放して見据える作家としての、冷徹な「眼」。
ふたつの相容れぬものの間で揺れる、温さんの心の「振り子」。

一歩間違えると、偽善や臭みにさえなりかねない言葉。
そんなことはとっくに分かっていて、あえて俎上に載せて見せる作家としての温さん。

この「振り子」の揺れが、温さんの作品の魅力なのではないだろうか。

「可哀相」そのままではなく、その反動で、徹底的に否定し、また戻って来る「可哀相」。
大人の「眼」を持つ久世さんが魅かれた温さんの世界も、そんなところにあったのでは。





温さんが生まれて、もう100年ほどの時間が経っている。
その頃も今も、人間は、大して変わっていないように思う。





やさしい窓に薔薇色の灯がついた。

『アンドロギュノスの裔』の中で、そんな一行を、温さんは、書いた。

若くして逝ってしまった早熟の温さんと、
大人でありながら、いつも、そこから踏み出ようとした久世さん。
どちらにも、よく似合う一行だな、と思う。


kinen06.jpg   小冊子の栞





今回は、渡辺温さんについて書かせて戴いたが、
三兄弟の啓助さん、濟さんに関連して書いたものも、以下にリンクさせて置く。
ご興味のある方は、読んでみて下さいませ。 


アンドロギュノスの裔 渡辺温 オマージュ展

渡辺啓助氏のこと ─ ひらがなで語り掛けたくなる人

温さんのこと(及川道子)

インバネス(谷崎・温・啓助)

W.W.W.展(渡辺濟)






時は、垂直に存在し「今」を貫いている。






アンドロギュノスの裔 渡辺温 オマージュ展



先日、高輪の Gallery Oculus に、
「アンドロギュノスの裔(ちすじ) 渡辺温 オマージュ展」を見に出掛けて来た。

会期が、今週の日曜日までなので、
急いで、Editorial Airplane の HP にアップした。

http://bit.ly/n1aKGL





宇野亜喜良さんが、どんな作品を出品しているのかも興味津々だったし、
依頼されていた原稿が、どんな形の印刷物になっているのかも、見るのが楽しみだった。





uno.jpg 


宇野さんの絵は、相変わらず「眼」が生きていて、素敵だった。
赤いマークが付いていたので、あらっ、誰が購入したのだろうと思ったら、
知人で今回の案内状にも文章を書いている、小説家の八本さんだった。

  モダンボーイのONG君は、シルクハットにモーニング、古風ないでたちの青年紳士である。
  「新しいってことはね」と彼は言うのだった。「なつかしいってことだよ」   八本正幸

洒落ていて、印象に残る、いい言葉だ。





会場に置かれた「小冊子」も、見事なものだった。
制作は、これまた知人で写真家の中山豊氏。
 

onpack.jpg 


大中小3冊を組み合わせ、しかも真空パックに仕上げてある。
画廊で小説家の展覧会を開催するのに、実にふさわしい仕上がり。

「文学」と「美術」の境界を軽々と超えて見せる彼の感性に、脱帽。
twitter 検索を覗いてみたら、展覧会自体も「小冊子」の装丁も、とても評判がいい。

http://bit.ly/nDfhfv







あ、こういう時に twitter は、便利なものなのだと、再認識。
一度止めた twitter の装いを変え、
noboruizumi (editorial-airplane) で復活することにした。

情報の収集や発信に使えればと思う。





もうひとつ、会場には、とても印象に残った展示品が。
今回の温さんの全集は、東京創元社から文庫の形で発行されたのだが、
その文庫用の「函」が、飾られていたのだ。


onhako.jpg 


元は『アンドロギュノスの裔』1970年に薔薇十字社から発行されたものを、
文庫本が入るように縮小して作られたものだと思う。
函の装画は、この Gallery Oculus のオーナーでもあり、イラストレイターの渡辺東さん。


onmoto.jpg


この函は、古書店の盛林堂オーナーが、手作りで作ったものだという。

なんとも、いい話だ。
こんな交流が、30年もの長い間、企画のみで画廊を続けて来た、
Gallery Oculus が、大切にして来たものだと思い、いい気分で画廊を後にした。





記念の「小冊子」に書かせて戴いた私の文章は、次の「日記」で。







渡辺啓助氏のこと ─ ひらがなで語り掛けたくなる人



「友人」って、本当に少ないかも知れない。
「知人」は、たくさんいるのだけれど。

お世話になった方を「先生」と呼ぶことも、滅多になくなった。





渡辺温さんのオマージュ展を見たこともあり、
このところ、作家の渡辺啓助氏のことを考えている。 

http://bit.ly/reo8WS





若い頃に「鴉」という題の短詩を書いたことが縁で、
高輪のギャラリーでお会いしてから、もう30年近くが経った。




修行僧の顔付で
岩を
蹴っていった

屋根裏で
盗んできた
目玉をころがしては
遊んでいる

(詩集『耳の形をした盃』 和泉昇 1980年刊に所収)





しばらくして、彼の主宰する同人誌『鴉』に、
何か書いてみないかと誘われ、ぼんやりとしたまま入会。
いつの間にか、同誌の編集を手伝うことになっていた。

以後2002年に、101歳で亡くなられるまで、
公私にわたり楽しくお付き合いをさせて戴いた。
これまで出会った方の中で、最も長命だった方である。 


keisuke22   keisukebannen

昭和22(1944)年 40代頃の啓助氏。           晩年の啓助氏。
阿部正氏撮影(『宝石』第2巻第3号所収)

私が初めて彼にお会いしたのは、このふたつの写真の中間くらい(笑)。





net 上に、写真などもたくさん載っていて、情報はたやすく手に入る時代になった。
彼についての関連記事などを読んでいたら、あっと言う間に時間が……。





karasuno19hyoushi karasu19back.jpg


同人誌『鴉』は、2004年のNO.19が最終号。『渡辺啓助追悼号』とした。
各界の錚々たる方々に、寄稿をお願いすることも出来た。

今日は、そこに私自身が書いた「言葉」を載せ、
啓助氏については、また改めて書くことにしよう。
 
なんとなく、
ひらがなで語り掛けたくなる人だった。





わたなべけいすけせんせいへ

わいわい がやがや むれてる ときも
たった ひとり は きえぬ もの
なぜか いくらか しん とは しても
べつに きどって いる ことも ない
けいけん ばかり が だいじ じゃないが
いま の いま には なにか が あって
すみ の ほう にも なにか が あって
けさの あめ にも ながされぬ

わたしが わたし を やめたと しても
たしかな もの など どこにも ない
なに が ただしく えらい とか
べんり や とく など いみ も ない
けいさん なんか は もう
いいよ
すきな こと だけ
けんめい に
せんせい に さよなら しなかった

(『鴉』 NO.19 2004年1月刊行) 





温さんのこと(及川道子)


W.W.W.展の記念冊子から、どうしても引用させて戴きたいものがある。
温さんの死後、女優の及川道子さんが書かれた文章である。

私が戴いた温さんのインバネスは、こんな物語をも吸い込んでいる筈だから。


渡辺さんに会う記
及川道子
 

oikawa       oikawa02



 空は紺碧に晴れて、そよ風にゆらぐ街路樹の柳の若葉が、涼しそうな陰影を鋪道に投げていた。
 初夏の銀座通りである。
 道子は母と弟の士郎と三人で、買物への帰りを新橋に向かって歩いていた。
 途中、ある額縁屋へ立寄って、美しいというよりも神々しさを思わせる山と川の絵
──夕陽が山の端の雲間からパッとさして、静かな川面にキラキラと金色に映え返っている──
を暫く眺めてから、再び鋪道に出て急ぎ足に新橋の方へ歩き始めた。
 「アッ!」
 道子は思わず声を立てると、その場に立ちすくんでしまった。
手にしていた荷物はバタバタと足許に転がり落ちた。
 コツ、コツ。
 向こうから渡辺さんが歩いて来る!
 山高をかぶって、片手にステッキを握り、いつものように首を心もち左へかしげたあの渡辺さんが!
 今では、もう此世にいない筈のあの渡辺さんが!
 道子はあまりのことに立ちすくんだまゝじっとその姿に見入った。
 が、次の瞬間、あの渡辺さんが生きていてくれたのだとわかると、
道子は嬉しくて嬉しくて思わず我を忘れて、その側に飛んで行き、胸深く顔をうずめて泣き崩れてしまった。
「もう、どこへも行かないでね。いえ、行こうたって離さないわ。これからは何でも云うことを聞くから、
そして誰よりもあなたを好きになってあげるから、どうかもうどこへも行かないでね」
 まるで子供が父親に甘えるように、
道子はわれながらいじらしい感情に胸をふるわせながら訴えるのだった。
 それまで、たゞ黙って道子の言葉に耳を傾けていた渡辺さんは、
つと優しく道子の手をとると、二人は何時のまにか元来た道の方へ歩き出していた。
 暫く行って──何処をどう通ったか、またそこがなんという町かハッキリわからなかったが
──間もなく二人は、何だか白く乾き切った広い広い大通りの傍に建っている家に着いた。
その家は入口からいきなり階段になっていて、二人はその二階へ上がって行った。
 「どこへも行かないでね、いつまでも道子の側にいてね」
と繰り返し繰り返し、たのみつゞけたが、
それに対して渡辺さんは一言も云わずに黙って道子の顔を見守っているだけだった。
 どの位二人はそうしていたろうか。
暫くして階下の入口の戸を誰かトントンと叩く音がしたので、
道子は急いで階段を下りて行って見ると、そこには不思議なことに、
これも今はもう亡くなられた筈の小山内先生がヌーッと立っていられるではないか──
 「渡辺君、迎えに来たよ」
 先生はそう云いながら、丁度そこへ下りて来た渡辺さんを両手で抱きかゝえるようにして出て行こうとされた。
道子は急に堪え難い悲しみに襲われて、
「先生、どうか渡辺さんを連れて行かないで下さい。お願いですから、お願いですから」
と眼に一杯涙をためながら渡辺さんにとりすがった。
 が、いよいよ先生に連れられて戸口を出ようとするとき
渡辺さんは追いすがる道子の方を静かに振り返って、
その寂しい青ざめた口元に微笑をうかべながら、始めて口を開いた。
 「ねえ、道ちゃん、恋愛は一生の仕事ではないよ。
この人生にはもっともっとなさなければならない仕事がある筈だ。
──道ちゃんには芸術の仕事が残されている。
今はそうした愛とか恋とかの感情に心を奪われている時ではなく、
お互いに芸術の道に精進すべき時だ。
そしていつか僕等がなすべき務めを果し静かな安息の日が訪れた時に、
きっと二人はまた会うことがあるだろうからね──」
 そう云ったかと思うと、先生と渡辺さんの姿は、
その広い真白な、果てもない一本の道を後をも振り返らずに次第次第に遠ざかって行った。
 そしてやがて、遙か地平線の彼方から湧き上って来た夕陽を浴びて
神々しいばかりに照り輝いている金色の雲の光の中へ
二人の姿は吸い込まれるように見えなくなってしまった。
 道子はそこに立ちつくしたまゝ、何かしら澄み切った寂蓼と感激とに胸をしめつけられて
「ええ、わかったわ、わかったわ」
と何度も何度もうなずきながら、
かすかに遠雷の音の響いて来る遠い雲の峰をいつまでも眺め入っていた。

 これは二三日前の夜、私がはっきり見た夢でございます。
今日たまたま編集者から、故渡辺温さんの思い出をもとめられましたので、
ともあれ先ずこの不思議な夢をそのまゝ記して見ました。
── 一九三四、一、七 ── 

(初出/雑誌『オアシス』昭和九年二月号)

★2008年 mixi 日記より

インバネス(谷崎・温・啓助)



写真
                                        
                                                                                                             W.W.W.展 資料展示の様子


 先日のW.W.W.展オープニングは、入りきれないほどの人で賑わった。


               写真
                        若き日の啓助氏

                  写真
                         渡辺温氏

                  写真
                  出合った頃の面影を残す濟氏の写真


 来場の客は、基本的には文学畑の人だが、
一般の方のほかにも、画家、写真家、音楽家など、
時代、ジャンルを超えて三人の人間に興味を持たれている方たちも多かった。
不思議な展覧会である。
画廊のオーナーの渡辺東さんが、この三人の長兄・啓助氏の娘であるからとは言え、
なかなか出来ぬ企画だと思う。
そこで見るものは、資料として何枚かの「絵画」も展示されてはいるが、
おそらく、彼ら三人の「精神の形」なのだろう。

          
写真


 とても嬉しいのだけれど、実は、ちょっと緊張することが。
啓助氏が主宰していた「鴉の会」に途中から参加し、
お手伝いをさせて戴いたのが、この画廊と私との縁なのだが、
会場に展示してある「温」さんが着ていたというインバネスを、
渡辺家の方たちが私に下さるという。
温さんが亡くなったあと、啓助氏が、大事に保管しておいたものである。
ただし、飾っておくのではなく、着て欲しいと言う。
考えに、考え、頂戴することにした。
これは単に、物としてのインバネスではなく、
谷崎、渡辺温、渡辺啓助と、受け渡されて来た「精神の形」を戴くことになる。
本当に着こなせるだろうか。
今年の冬が、少し、怖い。
どの街が、このインバネスに似合うのだろう。やはり、銀座なのかな……。


渡辺温氏に関連する断片も、少し載せておきます。

■「短編礼賛」解説/大川渉著より抜粋
昭和5年(1030)兵庫県西宮市郊外の阪急線踏切で、
谷崎潤一郎氏から、遅延していた原稿を受け取った帰り、
深夜まで神戸で遊んだ渡辺温と長谷川修二の乗りこんだタクシーが貨物列車と衝突した。
後部座席に乗っていた渡辺温(当時、「新青年」編集者)は、近くの病院に運ばれたが、
脳蓋底骨折で死亡した。27歳だった。
谷崎氏は、渡辺温が文壇に登場するきっかけを与えた人物でもある。

■久世光彦氏評『美の死』所収「空の花籠」より
「夕方になると、夕風の吹いている街路へ、姉は唇と頬とを真っ赤に染めて、
草花の空籠を風呂敷に包んで、病み衰えた体を引きずって出かけた」
(渡辺温「可哀相な姉」より)

「もし、あらゆる小説の中から、一番美しい文章を一つ選べと言われたら、
私はほとんどためらいなく、このフレーズを挙げるだろう」

W.W.W.展は、31日まで、開催しています。
動画でのご案内です。会場の地図は、前の日記W.W.W.展の中にあります。

写真

http://jp.youtube.com/watch?v=l_r_arrYjTU


★2008年 mixi 日記より

W.W.W.展(渡辺濟)


2008年5月17日(土)から始まるW.W.W.展に寄せて。
説明が足りず分かりにくいですが、取り急ぎ間に合わないので、
アップします。後ほど整えるつもりですが、時間が取れなければ、
このままかも。まあ、成り行きで。

■17日のオープニング・パーティには、私も出掛けます。
もし、ご興味のある方は、是非いらして下さい。

『新青年』は、1920(大正9)年に博文館によって創刊され、
戦後の1950(昭和25)年までの時代を駆け抜けた、江戸川乱歩を筆頭に
さまざまな探偵小説の作家を輩出した雑誌のこと。
渡辺啓助、渡辺温の兄弟は、乱歩の名義でエドガー・アラン・ポーの短編を翻訳した方でもあります。

今回私は、もう一人の隠れた異才、渡辺濟氏について書かせて戴きました。


写真

W.W.W.展

渡辺啓助、渡辺温、渡辺濟・「新青年」とモダニストの影
――長すぎた男・短すぎた男・知りすぎた男――
2008年5月17日(土)~31日(土) 午前11時~午後6時30分(会期中無休)
●オープニング・パーティ 初日午後6時-8時
Gallery Oculus ギャラリー オキュルス 


彼について知っている いくつかのたしかなこと
                               
和泉 昇


   写真      写真
          若き日の渡辺濟氏                  製本前の記念冊子


 机の上に、一枚の履歴書のコピーがある。
 「昭和二十二年四月一日」の日付。
 「大正元年九月一日生」と書かれている。
 書いたのは「渡邊 濟(わたる)」氏。
 何のために書かれ、何故、コピーされて残っているのかは、私には分からない。

 作家の渡辺啓助、渡辺温、両氏を兄に持つということ以外、
彼がどんな経歴の持ち主で、どんな生活をしてきた男なのか、ほとんど私は知らなかったことに、気付く。
 私が知っていたのは、時折、高輪のギャラリー・オキュルスで、サファリ・ハットを被った彼にばったり出会うと、
「いずみくぅん」と、少々語尾が上がる茨城訛りの声音で、
びっくりするような話を、いつも楽しそうに聞かせてくれる。それくらいだ。
 もっとも、それ以前に、画廊主の渡辺東さんから聞かせてもらっていた話は、
彼に対する私の興味を惹きつけるのに充分なエピソードだらけであった。
 「網走番外地」という看板を掛けているという小児科医院の主であること。
火の玉が出るという噂があると、夜中にこっそり、信じている人のために、
わざわざ火の玉を作って山中を走り回ったということ。
休診日には、本職の靴磨きの靴を磨かせてくれと、実際に路上で磨いていたらしい。
それらが、全く嘘でも、誇張でもなく、本当の話だろうということは、彼と話していると、すぐにわかるのだった。
不思議に私には、とても「身近な人」だった。
血のつながりではなく、もし「精神」にも「家族」というものがあるのなら、
そんな親近感の感じられる数少ない人であった。

 ある日(一九九五年頃だったと思う)、彼が原美術館で、現代美術の作家の作品を見た帰りに、
「いずみくぅん。君にぴったりの映画があるから、見て来た方がいいよ」と言われ、
どんな作品なのかを聞くと、リュック・ベッソンの製作で、パトリック・ブシテー監督、
チャールズ・ブコウスキー原作の「つめたく冷えた月」。
青野聰氏などの紹介により、少しは浸透したとは言え、
ブコウスキー自体も、日本では、まだなかなか認知されにくい作家である。
しかもこの「つめたく冷えた月」は、屍姦を扱った映画。
大好きな彼の、私への名指しの推薦。早速、映画館へ出向いたことは言うまでもない。


写真  写真

                     その時の映画パンフレット


 あらすじは、二人の男が、悪ふざけで病院から死体を盗む。
それを見ながら酒でもと思っていたのだが(それだけでも破天荒なのだが)、
部屋に持ち帰ってシーツを剥がしてみたら、
それまでお目に掛かったこともないような、見事な肉体と美しい顔を持った美女が現れる。
我慢出来ずに、思わず二人ともが屍姦を。
しかし、片方の男は、その死体に恋をしてしまうのだ。
男が、その美女の死体を海に返しに行くラストシーンで、
沖に流れた死体が、人魚のように飛び跳ねて輝く幻影の映像には、
猥雑さを通り越し、突き抜けたような不思議な精神の清らかささえ感じられる映画だった。
八〇歳を越えた(たぶん)老人(失礼)が、見る映画か。
しかも、それを、将来ある私(笑)に、普通、薦めるか。まあ、こんな人であった。
 それ以来、彼に会えることが嬉しくなった。

 三〇歳の半ばを過ぎた頃からの私は、上達とか、出世とかと同様に、
「コウデナケレバナラヌ」という人種に会うのが嫌だった。
何でそんなものに拘わるのかい。
もうすぐ人は、死んで行くのに。
学問も知識も、所詮は、生きている間のちっとはましなゲームに過ぎない。
そんな感覚に捉われるようになっていた。
頭の中の理屈では、わかってくれても、根本的な深い感性の部分で共感してくれる人は皆無だった。
そんな頃に出会ったのが、彼だった。
 濟さんは、私にとって、善悪、真偽を超えた人。
金銭やら、体裁やら、世間の人間がいつも気にしてばかりの、
どうでもよい事に拘わっているくらいなら
「俳句のひとつもひねるか、一枚の絵でも描いている方が、
ずっと上等さ」というような気配を持っていた。
しかも、それを真面目に主張などせず、お茶目に軽く、さらっとやってのける達人でもあった。

 昭和 十一年四月 京都帝國大學文學部入學
            (たぶんドイツ文学)
 昭和 十四年三月 仝 校 卒 業
 昭和 十五年四月 岡山医科大學入學
 その後、應召ノ為メ休學、召集解除、復學
 昭和二十一年九月 仝 校 卒 業
       賞罰ナシ
 右ノ通リ相違アリマセン

 そうか、ふたつも学校を出たのか。
ただの変わり者ではなかったのだ、などと感心していては、濟さんに皮肉のひとつも言われそう。
そういう事ではないのだ。
わざとかどうか、ちゃんと四月一日に書いている。
用意周到というべきか。どこまで、シャイなのか。
 そう、最後に彼について、たしかに知っていることをもうひとつ。
彼に貰った大切な宝もの。
例によって画廊で出会ったある日、
「いずみくぅん。きみにプレゼントだぁ」と言って差し出してくれたのは、大きな落款印。
もちろん、自分で彫ってくれたもの。しかし、思わず吹き出した。
私の名前「のぼるいずみ」をもじって、「のびるいれずみ」と彫ってある。
やられた。
若き日の気取りも、歳とれば、そんなもんよ。
なんて一言も言わず、にやにやしながら……。
ホントに、嬉しかった。


                    写真


 彼は、駄洒落も大好き。
井上陽水が「リバーサイド・ホテル」を作った時には、
イーグルスのちょっと怖さのある「ホテル・カルフォルニア」が、
遠い連想だとしても頭のどこかにあったはず。
という気が私にはしているのだけれども、
濟さんの「三途の川ホテル」ってのも、どことなく哀愁があって、良かったなあ。

 セリーヌの墓碑銘は、確か、NON だったと思うが、
ブコウスキーの墓には、DON'T TRY と刻まれているらしい。

                            (いずみ のぼる 編集者、詩人)



原稿渡してからも直しちゃいました。
印刷物よりも、こちらが最新です。
ごめんなさい。

外向きだと、やっぱりまだまだ硬いですね。
もっともっと、肩の力を抜かなくっちゃね。



■下記のサイトを参照して下さいませ。
渡辺啓助
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E5%95%93%E5%8A%A9
渡辺 温
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E6%B8%A9


                  写真

Gallery Oculus ギャラリー オキュルス 〒108-0074 東京都港区高輪3-10-7
TEL. 03-3445-5088 FAX. 03-3445-7518  E-mail oculus-a@khaki.plala.or.jp
〈交通機関〉都営浅草線高輪台下車3分 JR品川下車10分

★2008年 mixi 日記より

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