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『源氏物語』 Archive

「夕暮れの街」(上野佑爾様)

今日は、病院へ行って来た。
と言っても、私の身体のためではない。
「お見舞い」だった。

何度か「日記」に書いている『源氏物語』の口語訳をされた
上野榮子様のご主人・佑爾様の所へ、だった。


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数日前に、数学者のご息子・健爾様からのメールで、お父様が「腹部動脈瘤」で入院。
手術が必要との、連絡が来ていた。
佑爾様は、93歳。手術に耐えられるのだろうか。
それが心配だった。


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その後もう一度連絡があり、カテーテルを使った手術が無事成功し、身体への負担も少なく、どうやら以前の生活に戻れそうとのこと。 現在は、HCU(High Care Unit・高度治療室)に入院中で、本格的なリハビリも開始されるとのことだった。

自分の父が亡くなる時に入っていたのが、ICU(Intensive Care Unit・集中治療室)だったこともあり、何だか HCU という「言葉」に少し緊張した。


        
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秋葉原の駅から、少し歩いた所にある病院へ行く前に、お見舞いの「花」を買った。
「りんどう」の紫がとても綺麗だったが、明るい気分のものがいいと思い、
小さなアレンジメントを作ってもらった。



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HCU の入口は、厳めしく、入る前に手の消毒をしなければなかった。
教えられた一角へ行くと、そこには、空いたベッドがあるだけ。佑爾様の姿が見えない。



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天井からは、緊急用とも思われる管が下がっている。


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脇のテーブルの上を見ると『死活小事典』という本が置いてある。
何だろう、どうしたのだろう。ふっと、不安がよぎった。


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その時、若い看護師さんから、声を掛けられた。
「上野様は、今、検査に行っております。すぐに戻りますので、少し待っていて下さい」


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一瞬の不安が解消し、テーブルの上の本をよく見ると、囲碁の本だった。
もう一つのテーブルには「電気剃刀」と「キャラメル」が置いてあり、
自分自身の「不安」が、可笑しくなってしまった。
しかも「電気剃刀」と「キャラメル」の並びが、何だかとてもいとおしく思えた。


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佑爾様は、お元気で、相変わらずの安心感を与えて下さる話し振り。
こんなに、人間を「ほっと」させて下さる方に、お会いしたことがない。

榮子様の「言葉」を借りると「仏様」のような方だ。
要職に付かれていたにも関わらず、決して威張らず、権威とは全く無縁の方だ。
「もっと『欲』があれば、もっと地位も高くなれた」のに、とも。
本当はちっともそんな事を望んではいない榮子様が、
自宅での会食の時に、お茶目な笑顔で言われたことも思い出した。
その榮子様の「無邪気な」笑顔も、佑爾様あってこその笑顔だと思う。

佑爾様の「人柄」が傍らにあってはじめて、
榮子様の『源氏物語』の仕事も完成する事が出来たのだろうという事を、
もう一度、身体中で実感することが出来た。

あまり長く話していると、お疲れになると思い、お暇することに。

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買って来た「花」は、HCU へは置けないとのことで、お見せするだけにして、
持ち帰ることになった。


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夕暮れの街へ出たら、何だか無性に「人間」に会いたくなった。




■日記周辺の「言葉の断片」(和泉)

何か、表面ではなく、
深く分かる「人間」と、
黙って並んでいたいような、
そんな「気分」でした。

でも誰にも電話も掛けず、
ひとりで帰って来ました。

その方が「人間」を、
感じられることもあるから。

キャラメルと電気剃刀、
いいでしょう。

礼儀正しさと、
屈託のなさが、
並んでいるみたいで。

本当にこれまで、
いつも「人間」に恵まれて、
生きて来たように思います。

夏の暑さの中にも、ひとすじの秋が忍び込み、
何だか、人恋しい季節ですが、
そろそろ気合を入れて新しい仕事に向かわねば、
と、思っております。

本当に私は、
素晴しい方たちに囲まれ、
幸せ者だと思っております。

これからその感謝の気持ちを、
若い方に渡して行ければと、
心から思い始めております。

佑爾様、
本当に素敵な方です。

私もなれるといいな、
という憧れでもあります。

まだまだ、
修行が足りないなぁ、と、
溜め息をつくばかりです。

佑爾様は、
とってもいい意味で、
真面目な方なのです。

そして92歳の今でも、
とても頭がクリアで、
深い話をして下さいます。

一緒にいるだけで、
安らぐ方って、
本当に貴重です。

榮子様は、お母様の介護で、
ずうっと佑爾様と、
離れていらっしゃったのに、
心が繋がっていたのですね。

榮子様の、今のお茶目は、
その分を取り戻そうと、
甘えていらっしゃるのかも(笑)。

佑爾様が置かれていた、
本、電気剃刀、キャラメル、
全く意図はないと思います。

私が見たものにも、
全く意図はありません。

ただ、私の書き方や、
写真の撮り方には、
少々お茶目がある
かも知れませんね。

眼が合った時、
にっこり、して下さいました。

私も何だか、
にっこり、してしまいました。

病院って、独特の、
硬い雰囲気がありますね。

そう言えば、
佑爾様が戻って来てから、
空気が柔らかく感じられました。

花の力って、
凄いですよね。

でも HCU には置けず、
今の私の部屋を、
明るくしてくれております。

佑爾様には、
本物の「知性」を感じます。

ブッダって、
こんな人だったのかも。






文化庁長官表彰(上野榮子訳『源氏物語』)


このところの「日記」は「音楽」のことばかり書いていた。
嬉しいことで、まだ書いていないことがあったので、
記録のために書き留めておこうと思う。


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以前作らせて戴いた上野榮子訳『源氏物語』(日経版)が、
2009.3.6 付けで、文化庁の長官表彰を受けた。

               
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源氏物語を自力で口語訳、文化庁長官表彰受ける
家事・介護の傍ら原稿用紙4000枚

上野栄子氏

主婦業の傍ら、源氏物語を十八年かけて現代口語に訳し、このほど文化庁長官表彰(源氏物語干年紀記念表彰)を受けた。
「思いがけないことで、感慨無量です」と喜びをかみしめている。
旧制高等女学校時代、京都帝大の学生だったいとこに「大きくなったら源氏物語を読んでごらん。世界でも指折りの創作だよ」と薦められたのが出合いだった。結婚、出産、子育てと慌ただしい日々の中でも現代語訳やラジオ講座などで源氏物語に親しみ、「いつの日か自分の手で口語訳をしてみたいと思うようになった」と振り返る。
実際に取り組んだのは、子育てが終わった五十歳過ぎ。家事を片づけてから毎日少しずつ、文語体を口語に直訳し、紫式部の世界に近づこうと試みた。母親が病に倒れると東京から熊本に帰郷し、介護をしながら訳した。専門家に師事することなく、訳はすべて自力。
一九九五年に全五十四帖の訳を終えると、万年筆で清書した原積用紙は四千枚を超えた。八十歳を機に自費出版し、その後、日本経済新聞出版社からも出版された。
紫式部ゆかりの滋賀・石山寺を昨年訪問し、今も「源氏物語を読み返しては、その世界を味わっている」と話す。「桐壼」などに描かれた嫉妬(しっと)をはじめ、変わらぬ人間の感情を身近に感じるとともに「それを客観視し、物語に昇華」した紫式部の力量に感嘆する。「清少納言もいた平安時代は、女性が珠玉の作品を生み出した最高の時代かもしれません」
=うえの・えいこ、83歳。 (日経新聞 2009.3.17 夕刊)


しかも、フランス語版(ディアンヌ ドウ セリエ 出版)が同時に受章したことも嬉しかった。


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写真左は、フランスの画家 Matthieu Kuhn。右が、通訳にあたるアカネさん。


これは全くの偶然なのだが、やはり私の若い友人であるアカネさんがこれに関わっていたからだ。彼女はエコール・ド・ルーヴルで博物館学の学位を取り、今は日本で暮らしているが、今年の初めに展覧会の会場で通訳をしていた彼女に、久しぶりにお会いしたばかりだった。

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フランス語版は、言葉だけでなく、図版も入れたもので大変に豪華なものだった。
大判のものは、とても高価なので、縮小版も作られているようである。


■日記周辺の「言葉の断片」(和泉)

はじめは、
そんなに大変な仕事だとは、
思いませんでした。

でも、
やり始めてみたら(笑)。

分かっていたら、
出来なかったと思います。

たくさんの仲間に助けられて、
やっと完成したという感じでした。

運が良かったとしか、
思えません。

お婆ちゃま、
しゃきっとして、本当に素敵な方です。
それなのに、どこかお茶目でもある(笑)。

お爺ちゃまも、矍鑠としていて、
人間理解が深く、これまた最高。

年輪を重ねて、素敵でいられるよう、
まだまだ頑張らなくてはと思っております。

人間にはきっと、
その時にしか出来ないことが、
あるような気がしています。

「今」の自分に、
出来ることって何だろう。

この頃、また、
考え始めております。

英訳も、面白いですね。

サイデンステッカーさんの、
「歌」の訳などを読んで、
なるほどと発見することも、
多かったです。

年齢ではなく、
個性だとは思いますが、
凛とした人たちは、
素敵ですね。

私めは、
お婆ちゃまの作った「山」に登って、
「旗」を振っただけの
「ちゃっかり者」です。

相変わらず、
ひとのふんどし(失礼)で、
相撲をとる「編集」なども、
やっております。

「偏執」にならぬよう、
気を付けねば(笑)。

全八巻、化粧箱入り。

坐っている時間が長かったので、
私自身も、ずっしりして来て、
かなりの重量になりました(笑)。




再び『源氏物語』(古澤侑峯、橋田壽賀子)

風邪が長引き、だるさが抜けず、
ものを考えるのも、日記をアップするのも辛かった。
いつまでも、こんな状態では、何も出来ずに時間が過ぎてしまう。
何とか少し良くなって来たので、昨年の12月のことは、
たとえ簡単にでも、なるべく今月中に載せておこうと思う。


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何度か日記に書いている『源氏物語』日経版の売れ行きが良いようで、
再々版を1月20日に納め、少しほっとしている。


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12月7日には、青山の銕仙会能楽研究所で、以前から親しくさせて戴いている、
(マイミクでもある)地歌舞の舞い手、古澤侑峯さんの「源氏舞」最終舞台を拝見した。
「源氏物語」五十四帖を自らの創作により舞う試みは、回を重ねるごとにその奥深さを増し、
これで終了してしまうのが、本当に惜しいと思わせる見事な舞台であった。

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侑峯さんは、地歌舞(じうたまい)・古澤流家元の長女として3才より伝統的な舞を継承し、昨年10月に、二代目家元となられた。「御殿舞(ごてんまい)」も修めている。また古典を踏まえた上でのジャンルを超えた実験的な舞台活動を他ジャンルのアーティストたちと共に重ね、国内外の招聘公演も多数行っている。古典と現代の心をつなぐ独自の舞の世界を築き上げているパワフルな舞踊家である。伊勢神宮、清水寺、天龍寺など奉納公演も多い。グリーンリボン新人賞、大阪芸術祭賞、京都芸術賞を受賞している実力者で、国内では年間3~5回ほど公演し、海外では、パリやベルサイユ、上海、ポーランド、イギリスなどでも開催している。

この「源氏舞」は、2001年より手がけ、昨年完成をみたものである。

ご自分で UFO と書くほど、宇宙的に発想が自由で、性格もさっぱりとしているが、
現代では大変に稀になってしまった、女性としての、大人の色香を纏った方でもある。
何年も前からの一緒にお寿司を食べに行く約束を、今年こそ果たしたいと思う。


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昨年の12月30日と31日には、TVで、『源氏物語』を見た。
これは、1991年の暮れと、翌92年の1月3日に計8時間に渡って放送された、石井ふく子プロデューサーのTBS創立40周年記念番組 橋田壽賀子スペシャル『源氏物語』が17年を経て、再放送されたものだった。総制作費がなんと12億円。坂東玉三郎の衣裳考証。主人公の光源氏には、前編が東山紀之、後編は片岡孝夫(現在の片岡仁左衛門)、藤壺に大原麗子などの豪華キャストだが、三田佳子が紫式部本人となって出て来るのが、面白かった。


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橋田さんの源氏は、少々下世話だが、とても分かりやすい。
侑峯さんの源氏舞は、もう少し幽玄で、奥が深い。
どちらも、それぞれに、大変価値のある仕事だと思う。

たまたま『源氏物語』を制作させて戴いた年の暮れの、
二つの『源氏物語』、やはり、これも「縁」だったのだろう。


■日記周辺の「言葉の断片」(和泉)

嵩張るのは、
おじいちゃま、おばあちゃまが、
読み易いように文字を大きくしたから。

私も眼が霞んで来ているので、
制作作業としては、
かえって有難かったです。

フジTVでのアニメの Genji は、
エロスを前面に出してるようです。

世界最古の長編恋愛小説。
本当の内容は、ちっとも、
難しくはないのですよね。

時代は変わっても、
あんまり人は変わらないなぁ。

素敵な女人がいると、
すぐに心を動かされてしまう、
男という誠にアホな生き物。

後は、品性と美意識ですね。

地歌舞。
動きは大きくないのですが、
なんとも優雅です。





『源氏物語』の紹介記事


制作に当たらせて戴き、
何度か日記にも書いて来た『源氏物語』の私家版が、
あらためて日本経済新聞出版社から発行された。
訳者の上野榮子さんと、この本の紹介が、
読売、朝日の新聞紙上で紹介されたので載せておく。


■2008.11.9 読売新聞


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(撮影・杉本昌大)


独学で源氏物語を完訳した主婦 上野榮子(うえのえいこ)さん 83

一帖「桐壺」を訳し始めたのは子育ても終えた50歳を過ぎてからだった。
何冊もの辞書を傍らに、急がずこつこつと。言葉の感じがつかめない時は、声にしてみた。五十四帖「夢浮橋(ゆめのうきはし)」を閉じたのは18年後の1995年。原稿用紙4200枚の大作。自費出版し、今西祐一郎・九州大教授(日本古典文学)を「邪心のないさわやかな訳」とうならせるなど、関係者の評価を得ていたが、このほど日本経済新聞社から刊行された。
「『源氏』は愛と慈しみの物語」と語る。出会いは高等女学校高等科時代。女のねたみやそねみを物語に昇華した紫式部のすごさに感激し、「自分の訳で紫式部の世界に近づきたい」との思いを温め続けてきたという。
手がけて2年後、熊本に住む母が病に倒れた。東京に夫を残し、看護の合間に「源氏」に向かった。それは、「1人で静かに喜びを味わう時間でした」。
完訳を果たした同じ年、母は逝った。長い留守を夫は黙って見守り、原稿用紙を送り続けてくれた。(文化部 金巻有美)


■2008.11.15 朝日新聞 ひと欄から

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「源氏物語」を18年かけて現代語訳した上野栄子(うえのえいこ)さん(83)


大正の生まれだが、光源氏に見そめられた少女若紫のように愛くるしい。「源氏物語」を18年かけて全訳し、1月に完結した私家版全8巻が達意の訳文で評判となり、日本経済新聞出版社から今月刊行された。
戦時中、熊本の高等女学校で、はかま姿の教師が朗々と読む「源氏」に魅せられる。「紫式部さんの美しい文章をいつか口語訳したい」。終戦の年に結婚し、家事と育児に追われながら原文を読み続けた 。
訳し始めたのは52歳のとき。原文を朗誦(ろうしょう)しては本に訳を書きこみ、わら半紙で推敲(すいこう)を重ねた。先生はおらず、辞書が頼りだった。2年後、熊本に住む母が脳梗塞(こうそく)で倒れる。理解のある夫の佑爾(ゆうじ)さん(91)を東京の自宅に残し、ほとんど熊本で暮らす日々が16年。病床のかたわらで訳した。「最後の『夢浮橋』を終えた日に、母は静かに逝きました」
訳文は原稿用紙で約4200枚。私家版は数学者の長男健爾(けんじ)さんが校正を担当するなど、2人の息子にも助けられた。「作家の先生方の口語訳と違って自分の思いはこめず、紫さんの文章を素直に訳しました」。訳文には純朴な人柄がにじみでている。国文学者の今西祐一郎・九州大教授は「源氏」にあこがれた「更科日記」の作者になぞらえて、「21世紀の菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)」とよぶ。
「源氏」には、失われた日本人の愛の心があるという。さらに見極めてみたい。「今が一生でいちばん勉強のできる時ですから」(文・白石明彦 写真・川村直子)


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3年近くの制作時の苦労が報われた気分もだが、
何よりも、お婆ちゃまの笑顔が嬉しい。


          
■日記周辺の「言葉の断片」(和泉)

おばあちゃま、
おめかしして、素敵です。

将来、数学者になる息子さんを
教育したくらいですから、
もちろん厳しいところはありますが、
とても可愛らしい方でもあります。

おばあちゃまの笑顔をみていると、
こちらも幸せになります。

美しく歳を重ねるって、
こういうことなのですね。

おじいちゃまもまた、
とてもいいお顔をなさっております。

一生勉強という方です。
本当に頭が下がります。

でも、さすがに源氏を訳された方、
固いばかりではありません。

「カラマーゾフの兄弟」は、
若いうちに読まなければ無理と思い、
学生時代に読みました。
源氏は今回の仕事で、やっと。

私も人間は「邪」であると、
ずっと思って生きて来ました。
私自身のことも。

でもこの頃、
この世には「正」も「邪」も、
ないのではと思うようになりました。

あ、これって、
「反省」することさえもなく、
もっと「悪く」なったって事かな(笑)。

冗談はさて置き、
おばあちゃまの訳は本当に爽やかです。

それは、おそらく、
「知性」の成せる「わざ」ですね。

「失われた日本人の愛の心」
本当に、大切なものだったのに。
と、この頃よく思います。

彼女の一番の美徳は「謙虚」だと思います。
ものすごく勉強もなさっているのに、
「私は頭が悪いから人の何倍も努力して、
 やっと一人前になれるんですよ」
などと、おっしゃる。
それが厭味でなく自然に。

本当に、人それぞれなのですが、
学ぶところがたくさんある方です。

一生にひとつ、
誰にでも出来るものがあります。

それは、自分の「人生」。
これは他の誰にも出来ないものです。



『源氏物語』日経版完成


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何度か「日記」にも書いた日経版『源氏物語』が、10月30日に発行。
やっと11月5日に発売になる。



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九州大学の今西祐一郎教授が推薦文を書いて下さり、
宣伝用のチラシも配布されているようだ。

『源氏物語』が世に出てまだ間もない頃、その魅力に取り憑かれ昼夜を措かず読みふけった少女がいた。後に『更級日記』を書くことになる菅原孝標女である。本書の訳者上野榮子さんも「学生の頃から『源氏物語』が大好き」で、十八年をかけて自分の言葉でこの傑作を辿りなおす。それが全八巻の口語訳となって実を結んだ。
この「上野訳」全八巻は、さきに瀟洒な私家版として限られた知友に配られ、縁あって本書を手にした私は、その訳文の細心・達意にしてしかも闊達な姿に感銘を受けた。しかし、残念なことに本書は私家版ゆえに書店にも並ばず、インターネットの検索網にも罹らない。それがこのたび日本経済新聞出版社からあらためて刊行されるという。
「二十一世紀の孝標女」による『源氏物語』千年の果実を、より多くの人に味わっていただきたい。

http://www.nikkeibook.com/genji/

販売用のチラシ制作などには、いっさい関っていないのだが、
「小さなニュースが、大きな話題に!」というキャッチコピーが気に入った。
ひとりひとりが毎日を大切に生きていれば、それが一番素敵なことなのだから。

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先日打ち合わせで出版社へ立ち寄ったら、出来上がったばかりのセットが、
受付の入り口に飾ってあり、何だか嬉しかった。


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また訳者・上野榮子さんの息子さんで、私に制作を依頼して下さった
数学者の上野健爾先生が、ネット上のTVで紹介をして下さっていた。
ちょっと長いですが、お時間のある方は覗いてみて下さい。
http://www.netrush.jp/netrusharchive/netrush_44/netrush_44.html


実は、今年フランス語訳『源氏物語』も発行され、知人がその仕事に関っていた。
フランス版は「絵入り」で、セットが8万円もするらしい。
http://blog.goo.ne.jp/goo0625ts/e/73e5bd7a3d838d5dfc4ad2de9008eee8

日仏の『源氏物語』の本を並べて、双方の国から抽象の画家を一人ずつ選び、
『源氏物語』をテーマに新しい「絵」を書いてもらい、東京とパリで展覧会をしたいなぁ、
などという「夢」もあったのだが、今年中には、とても時間が足りなくなってしまった。


■日記周辺の「言葉の断片」(和泉)

私もこの仕事をするまでは、いつも「須磨帰り」でした。
長いものは時間がかかり、読むのが大変ですものね。

学生の頃、何となく、
歳をとったら絶対に読めないかも知れないと思って読んだ本に、
ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』があります。
今では、ほとんど無理だろうなぁ。

長編の一気読みは、とても無理。
これを作りながら読むのに、
2年以上かかりました(笑)。

世の中には、自分のやることもせずに、
暇を持て余して、人の悪口や文句ばかり
言っている奴が多すぎる。

そんなこと言っている暇があったら、
自分が楽しくなることを探せば、
と、いつも思います。

「記憶の整理箱」のはずが、
日々、新しい記憶が増えていってしまい、
書くのが、とても間に合いません。

どこかで、追いつけるのでしょうか(笑)。


『源氏物語』私家版覚書(E.G.サイデンステッカー)

                                             
 
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(墨田川の花火)



『源氏物語』上野榮子訳
私家版・覚書               和泉 昇                  


「僕は、日本も、日本人も好きじゃありません!」
いきなり、大声で怒鳴られた。
怒鳴った声の主は、エドワード・G・サイデンステッカー氏。
怒鳴られたのは、私。
二十五年ほど前、初めて彼にお目に掛かった時の「第一声」だった。
たまたま知り合いになった木版画家・福田裕氏が、サイデンステッカー氏の秘書役をやっていた縁で誘われ、墨田川の花火大会へ出かけた時だった。 

 
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(E.G.サイデンステッカー氏 2005年撮影)


川端康成、谷崎潤一郎、永井荷風などの小説を英訳し、『源氏物語』全巻の英訳を完成させて世界に広めたサイデンステッカー氏のことを考え、てっきり彼は、日本が好きだからなのだろうと思い、
「サイデンさん(皆もそう呼んでいたので)は、日本のどんなところがお好きなのですか?」
と、尋ねた時のことだった。
「僕は、昔の日本人が好きです。
 美意識も、生き方も。
 今の日本では、ありません」
彼が静かに話し始めるのを聴いて納得し、やっと、ほっとして落着くことが出来た。
何か失礼な事を言ってしまったのかと思い、びっくりしてしまったのだ。

その日の花火はとても美しく、終わった後も、サイデンさんが馴染みの居酒屋へ連れて行って下さり、気さくに楽しいお話を沢山聴かせて戴いた。
サイデンさんの怒鳴り声と共に、「花火」が、現場でしか感じることの出来ない、腹の底に響く深い「音」でもあることを知ったのも、その時だった。

いきなりサイデンステッカー氏のことを書いたのは、この時の彼との出会いの「縁」が、今回の上野榮子様の『源氏物語』全巻口語訳の仕事を引き受ける最初の伏線だったように思うからだ。

この本が出来上がるまでには、沢山の「縁」の繋がりがあったように思う。
覚え書きとして書いておきたい。

話を最初に私に持ち込んだのは、高校時代の友人で作家の鳴海風君だった。彼は会社勤めをしながら、江戸時代の数学「和算」をテーマに歴史小説を書いていて『円周率を計算した男』で第十六回の「歴史文学賞」も受賞している。
彼が「ちょっと相談があるのだけれど」と、話し始めたのが、この『源氏物語』だった。鳴海君は何冊かの本を出している作家であるだけでなく、勤め人であること、またテーマが異色であることなどで、講演も引き受けていた。
そんな縁で知り合いになった数学者から、母の本を出版したいのだけれどもと相談を受け、私に繋いでくれたのだった。
その数学者が、京都大学の大学院で教鞭をとり、一般社会への数学の普及のために「日本数学協会」を設立した上野健爾先生だった。
数学者と聞いていささか尻込みしたが、とにかくお会いしてお話を伺うことに。
お会いしてみると、実に教養豊かな方で、私の考えていた数学者のイメージとは、全くかけ離れていた。若い頃にはチェロを弾かれていたり、岩波新書で国語学者の大野晋氏との共著『学力があぶない』という本を書かれたりもしていて、とても若々しく行動的な方だった。
お話では、いわゆる作家ではない主婦が書いた本を、一般の書店で売るのは難しいかも知れないので、自費出版にしたい。けれども、出来るだけみすぼらしくない立派な本にしたい。ということだった。お話を伺っているうちに、自分の中で、この本を作らせて戴きたい気持がどんどんと膨らんで来るのが感じられた。
五十歳を過ぎた頃から、職業とか肩書きとか、プロとかアマチュアとか、そういうものの比重がどんどん意識の中で薄れ、人間は、この世に生まれ、いずれ死んで行く「はかない」生き物だという気持が大きくなって来ていた。

『源氏物語』は、その気分にぴったりの本だった。
しかし、いつも読みかけては途中まで。全巻を読み通したことはなかった。この仕事に関われば、必ず最後まで読み通すことになる。個人的には、そんな甘い考えもあった。
自分からお願いをして、なんとか訳者の上野榮子氏に会わせて戴くことにした。


              
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(左から、訳者・榮子氏、夫の佑爾氏、数学者の健爾氏)



日野のお宅は、ゆったりとして、時間の流れ方が違っていた。
きちんと手入れをされた庭には雀たちが遊び、榮子氏が分け与えた餌をついばんでいた。
ご本人が亡くなる少し前に作らせて戴いた『日本の美・その夢と祈り』で、詩人の宗左近氏が書かれた「人間と雀は、友達である。まさに宇宙の」という「まえがき」の一節も頭を掠めた。
これほどのお仕事をなされた榮子氏は、生真面目で神経質な方なのかなと思っていたのだが、とても穏やかでお茶目、若い頃にはやっていた歌なども、きさくに歌って下さるような楽しい方だった。しかし一方で、何気ないお話の中に突然諳んじている漢詩が出て来たりして、思わず気持を引き締めたりもした。
御主人で発行者の、佑爾様にもお会いした。
高齢にも関わらず、背筋のきちんと伸びた佇まいと、明確な話し振り。
特に、そのよく通る声には驚いた。囲碁と謡曲をたしなまれていると伺う。
お二人と、健爾先生とのお話のやりとりを伺っているうちに、どうしても、この本を作らせて戴きたい気持が抑えられなくなっていた。
ここには、あのサイデンステッカーさんが話していた、古き良き「日本」が、しっかりと存在していたのだった。

この『源氏物語』口語訳は、実に足かけ十八年もの持続した時間が費やされていること。しかもそれは、訳者の榮子様が、お母様を看病し続けながらのお仕事であったこと。また看病をなされている間、御主人の佑爾様は、ずっと文句のひとつも言わずに一人暮らしを続けられ、身の回りの事や食事の支度も全部御自分でこなされていたこと。自費出版には結構経費も掛かるのだが、健爾先生や、弟の眞資さんが、ぜひ出版をと勧められたこと。そのひとつひとつが、今の日本や日本人には失われてしまっていることのように思われたのだ。

幸い、佑爾様、榮子様にも何とか信頼して戴くことが出来て、いよいよ制作に取り掛かることになった。とは言え、実は私も会社勤めの身の上、作業は平日の仕事が終わってからの夜。あとは、休日を使うしかなかった。


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原稿用紙に万年筆で丁寧に書かれた文字の原稿は、実に四二〇〇枚。そのひとつひとつの章が、丁寧に表紙を付けられ、糊で貼り合わせ、紐で綴じられてある。これをばらばらにしなければ作業が進められない。
本冊の製本とともに、ばらばらにした原稿自体を、もう一度、和本の製本では定評のある山田大成堂の御兄弟、慶七様、繁様に頼み、和綴じの形で残すことを相談させて戴き、諒承を戴く。
山田様には、古いもので、こういう時のために取って置かれたという貴重な紙も提供して戴くことが出来た。
表紙の題箋の文字は、著者の榮子氏ご自身に書いて戴いたが、少し華やかな色も欲しくなり、その文字の下に、サイデンステッカーさんとも縁があり、仕事仲間で書家の「花伝房」手代木和さんに、印を彫ってもらい捺すことにした。
それを、五つの帙に収め、やっと心が落ち着くことになった。

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その様子を、これまた友人の写真家・中山豊氏に撮影してもらい、記録にとどめることも出来た。
「自費出版」は、いわゆる「経済原理」で動いている社会の基準では出来ないことを徹底的にやることだ。そんな反骨心のようなものが、心の中に芽生え初めていたようにも思う。昔の日本人ならきっと、そうしただろうと思ったのだ。

いよいよ、本冊の制作に取り掛かる。
日常の会社の仕事が終わってからの時間では、とても校正などの編集作業は無理である。健爾先生が、その部分を担当して下さることに。とは言え、健爾先生も大学での授業の他に、御自分の研究や著作、学会のお仕事、それに新しく立ち上げられた日本数学協会など、多忙を極める身の上。校正のみならず文章の推敲にまで協力して戴いた猪俣美郁子様という強力な助っ人を、京都でお願いして下さった。
また、こちら東京の制作側では、テキストの作成やレイアウトにも、話を聞いて協力を申し出てくれた優秀な編集者でもある村岡真理子さんには、大変な作業を強いることになった。現在では、コンピューターで普通に組むと、点や丸は、自動的にその行の一番下の部分や、頭から二字目に来るようにセットされるのだが、それだと、どうも見にくい。活字の時代のように文字が横に揃っている方が、見た感じも綺麗だし、読むときに、とても読みやすいのだ。彼女は、その無理な願いを理解し、校正の度に変わる点や丸の位置をその都度、コンピューター上の手作業で、調整してくれたのだった。大変に時間のかかる時代に逆行する作業でもあった。
だが、途中まで関わっていてくれた彼女が、突然、極度の腹痛という病に襲われる。
その時にはまた、テキストの打ち込みや、面倒な組み方に対する考えを理解する友人たちが、助けてくれた。アート・コーディネイターの増田洋子氏と、編集者の岩崎寛氏のお二人。途方に暮れていた時に、即座に協力を申し出て下さったおふたりには、感謝の申し上げようもない。


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本の大きさ、組み方などが決まってからは、いよいよその装丁を考えることに。友人の鳴海君からも装丁については、うるさく言われていた。自費出版の場合の装丁は一歩間違うと素人っぽくなり、それだけで見向きもされなくなることがあるからだ。
プロの画家に頼むことも考えたが、費用も嵩む。あれこれと悩んでいるうちに、一枚の料紙に出会った。全体は渋いのに金銀の箔が輝いている。これを利用しよう。金銀の両方を箔にすると、本の場合少し華美に過ぎてうるさくなる。結局、文字の黒と、金の部分を箔に。見返しの黒の紙は、榮子氏の「はじめに」の文章「人々は、喜びも、苦しみも、迷いも、闇もそのままに、何時の世にも六道輪廻に身をまかせて」の中の「闇」という言葉に触発され、現在の時点でもっとも「黒」の深い色が出る紙を選択した。かなり高価な紙なのだが、ここだけは一点豪華主義で押し通すことにした。おかげで、金の箔が引き立つことになったように思う。

ここまで書いて来て気づくのは、この本は、著者の榮子様から始まって、途中の制作は、ほとんど全ての人たちが、何か自分の仕事をしながら、本職の食べるための職業とは別の部分で、「心意気」のようなもので出来上がって来たということだ。勿論、その最終段階では、専門的にすべての印刷や、紙の手配、製本、箔押し、函の制作などの仕事を的確に取りまとめて下さった、ベテラン、山下忠一氏のお力添えがなければ、実現するものではなかったことは言うまでもない。


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(伊井春樹著『世界文学としての源氏物語』に、サイデンステッカー氏から戴いた榮子氏へのサイン)


こうして何とか作業を進めているときに、サイデンステッカー氏にそのお話を伝え、榮子様にサインを戴くことも出来た。
ところが昨年、彼は、大好きだった散歩中に転倒して頭部を強打。
それが原因で八月に、帰らぬ人になってしまった。

とうとう、完成した形を見て戴くことが出来なかった。
サイデンさん、あなたに、この本を見て欲しかった。
日本にも、まだ、こういうあなたの好きだった日本人がいることを。

二〇〇五年に、お話を伺ってから完成するまでに三年。
榮子様が執筆を始めてからは、何と三〇年という月日が経っている。

本冊が出来上がったところで、この話を聞きつけた「日本経済新聞」から取材があり、四月十八日の文化欄に榮子様の記事が掲載された。その記事を読んだ読者の方から「どこでその本は買えるのか。どうしたら読めるのか」と、一日で二〇〇件もの問い合わせがあったという。
そんなこともあり、同社の出版局が独立した「日本経済新聞出版社」が、この本を改めて一般の方が読めるように出版して下さることが決まった。
たぶん、秋には形になるだろう。

諸説はあるが、今年、二〇〇八年は、我が国の記録に『源氏物語』が明確に現れる年(『紫式部日記』寛弘五年・一〇〇八年十一月一日)から数え、実に一千年を迎えたことになる。
人間の「生きた時間」をたっぷりと吸い込んだ『源氏物語』は、それだけの重みを持っている「本」なのだと思う。


                    ワイングラス


2008年05月06日の日記に、
制作に当たらせて戴いた上野榮子訳『源氏物語』全八巻と、新聞記事のことを書いた。

http://noboruizumi.blog103.fc2.com/blog-entry-283.html


その経緯は後ほどと書きながら、また4ヶ月が経ってしまった。
函を作り、付録用の原稿をやっと書き上げたので、載せて置くことにする。

■日記周辺の「言葉の断片」(和泉)

アメリカで『源氏物語』は、
ずいぶん長い間「エロ本」として、
読まれておりました。
それでも、OKだと思っております。
エロスも人間の大切な一部ですから。

紫式部は、凄い女人ですね。
それに引き換え、
登場人物の男どもの、どうしようもなさ。
現代も全く変わらないので、溜息が出ます。
ただ、様々な解釈があって、
光源氏のことを、当時は皆で読みまわしながら、
笑い飛ばしていたのでは……。
というものもあり、そう思って読むと、
また違う一面も見えて来ます。
要するに、何でも崇め立てないで、
自分の眼で見ればいいんだ、ということですね。

「バーコードが装丁の美しさを壊す」というのは本当で、どうしても気になります。
煙草の「ハイライト」のパッケージなどで有名な和田誠さんは、 これを嫌って、
ISBN (International Standard Book Number 国際標準図書番号)の数字だけを記載しているようです。
今回の日本経済新聞出版社からの発行にあたっても、
バラ売りはせずに、セット販売のみになるので、
外函だけに記載してもらえるように、お願いをしました。
いずれにしても、「経済原理」最優先の「効率」ばかりに走る日本は、
もう昔の日本ではないような気がしております。

映画「ラストサムライ」での、
小雪の抑えた演技が忘れられずに、
何度か映画館に足を運びました。

日本人が持っていた「心」と「美意識」。
取り戻したいものです。

日本人の「心」は、まだあると思います。
ただ、状況がそれを許さなくなっている。
もしかしたら「国」などというものは、
一度きちんと滅んでしまった方がいいのかも知れません。

世界中の「国」という「概念」がなくなれば、
ひとは、もっと優しくなれるかも知れない。
という「妄想」です。
現実には、様々な困難がきっとあるでしょう。

「マッチ擦るつかのまの海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや」
という寺山修司さんの歌の心情です。

植物は全く詳しくないのですが、
「紫式部」って、
葉っぱが鋸状になっているみたいですね。

『源氏物語』を書いた紫式部も、
結構、恐い「鋸」を持っていたように思います。

「日本の良さ」
ひとりひとりが大切にしようと思っても、
社会の「仕組み」や「構造」がびくともしないと、
なかなか大変だなぁ、と思います。
「数」の論理しか、まかり通らないのなら、
深く潜って一人で行動するしかありません。

ハワイと日本のイメージって、
ずいぶん違いますね。

サイデンさんは、長い間、
ハワイと日本、半分ずつ住んでいました。
いつも両方を感じていたのかなぁ。

昔の日本。
たとえば「明かり」は、畳の上の燭台から。
決して「上」からの光ではなく、
むしろ「下」から反射して「揺れる」淡い光だったと思います。
それだけでも、結構、
人間の「考え方」や「感じ方」が変わるのではと思われます。
言葉にも、かなり影響するでしょうね。


『源氏物語』上野榮子訳



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制作に当たらせて頂いた『源氏物語』口語訳全八巻(写真は、第五・六巻)



源氏54帖主婦が完訳
◇母親の介護の傍ら、80歳過ぎて自費出版◇

                     上野 栄子

「いづれの御時にか。女御(にょうご)、更衣(こうい)あまたさぶらひ給ひけるなかに……」。年老いた袴(はかま)姿の恩師が机の間を縫うように歩きながら、源氏物語を朗誦(ろうしょう)してくださった様子が今でも目に浮かぶ。旧制熊本県立第一高等女学校高等科時代の思い出である。

φφφ

千年紀に最終巻出版

その時から私は源氏物語と作者である紫式部の魅力にとりつかれた。子育てを終え、五十歳を過ぎてから念願だった現代口語訳を始めた。途中、母親の介護をしながら鉛筆を走らせ、十八年かけて五十四帖すぺての訳を終えた。源氏物語千年紀にあたる今年一月に最終巻となる第八巻までを自費出版した。作家でもない一主婦が手がけた口語訳である。これまでほとんど例がないようだ。
源氏物語の存在を初めて知ったのは旧制高等女学校二年生のころだった。京都帝大の学生だったいとこが故あって我が家で暮らすことになり、勉強を教えてもらっていた。そのいとこが「栄子さん、源氏物語を読んでごらん」と勧めてくれたのだ。
高等科(後の熊本女子大=現・熊本県立大学)に進むと、冒頭で紹介した恩師によってこの物語にすっかり魅了された。小柄な女性の先生だったが、抑揚をつけて実に見事に私たちに語り聞かせてくれた。言葉の意味がわからなくても、平安貴族が生き生きと現代によみがえってくるような朗誦であった。
結婚、出産、子育てと慌ただしく日々が過ぎる中でも、機会があるたびに現代語訳や、源氏物語のラジオ講座などに親しんだ。そしていつの日か自分自身の手で口語訳をしてみたいと思うようになった。作家の方々の素晴らしい現代語訳はあるが、訳者の思い入れを含んだものではなく、文語体を口語体に直訳し、紫式部の世界に近づいてみたいと思ったのである。


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(日本経済新聞 2008.4.18 文化欄)



専門家に頼らず自力で

日本古典文学大系(岩波書店刊)の源氏物語を底本にして、一九七七年十二月から口語訳を始めた。写本にはいくつかの系統があるが、藤原定家校訂の青表紙本を三条西実隆が校訂した、三条西家証本である。
「桐壺」「帚木(ははきぎ)」「空蝉(うつせみ)」「夕顔」……。台所仕事や掃除、洗濯などを終えてから、毎日少しずつ訳していった。宮廷の言葉や貴婦人の言葉、仏教の言葉、漢籍、故事などもたくさん盛り込まれているが、専門家に師事することなく、参考書や辞書などを頼りに自力で訳した。
分かりにくい表現に突き当たると声に出して繰り返し読んでみる。すると不思議に解読の糸口も見つかるものだ。鉛筆で書いては消し、分かりやすい言葉を選んだ。
例えば「桐壺」の最初は「どの帝の御代であったか。女御や更衣が沢山お仕えしていた中に、特に、高貴な身分というほどではないが、一際目立って帝のご寵愛(ちょうあい)を受けていられる御方があった」と訳した。よく「苦労した部分はどこですか?」と尋ねられるが、好きでやっているから苦労と思ったことはなかった。
三十四帖の「若菜」に取りかかっていた七九年八月のある夜、母から「倒れそう、助けてちょうだい」と電話が入った。急いで東京の自宅から熊本の実家に駆けつけると脳梗塞(こうそく)だった。間もなく心筋梗塞も併発。十数年、介護の傍ら母がうとうとと眠るわずかな時間に口語訳を続けた。完成間近になったころ、安心したように母は逝った。

φφφ

原稿用紙4000枚超

完成は九五年。万年筆で清書した原稿用紙は四千枚を超えた。念願がかない満足していたが、家族が自費出版を勧め、二〇〇五年に八十歳となったのを機に実現した。幸い専門家の方々からも「読みやすい」と好評をいただいている。
作者が紫式部という女性だからこそ私はここまで熱中したのだと思う。「桐壼」に、嫉妬(しっと)にかられた女御や更衣が通路に汚物をまいて、桐壼に嫌がらせをする場面がある。紫式部自身も才色兼備で宮仕えの際にはいじめられたかもしれない。だが、女性の嫌な面を憎まず、むしろそれを客観視して物語に昇華する。そこに紫式部のすごさ感じる。
源氏物語は日本の心の歴史を描いたものだといわれる。千年の時を超えて日本人の愛の心と、ものの哀れを知ることができるとは何と幸運なことだろう。もっとも私自身まだこの物語の本質を深く理解したとは思えない。さらに生涯学習のつもりで源氏物語の世界を読み解いていこうと思っている。(うえの・えいこ=主婦)

          ワイングラス

時期があまり遅くなっても、間延びしてしまうので……。
制作を担当させて頂いた上野栄子氏『源氏物語』口語訳(全八巻)の本冊が、二年ほど掛かってやっと完成(厳密には、あと函と付録の制作が残っていますが……)。このほど、日本経済新聞に上野氏が書いた記事を、取り急ぎ掲載しておきます。制作に当たらせて頂いた経緯などについては、またの日記で、後ほど(写真も、きちんとしたものと変えるつもりです)。


■日記周辺の「言葉の断片」(和泉)

意味がわかると本当に 結構凄い物語です。

世の中の「経済原理」からは、
はみ出したところでの仕事です。

いまどき、あり得ない話です。
だから作らせて頂いたのですが。

暇つぶしのゲーム、かも知れないし、
神様への祈り、かも知れない。

「あさきゆめみし」という、
時代考証などもちゃんとした
漫画もあるそうです。

その時代の「楽器」や「音楽」についても、
いろいろ書いてあります。

「男」というものが、いかに、
しょうのない「生き物」であるかについても……。

文化が経済原理に巻き込まれると、
何だか、寂しい気にもなりますね。

大人って何なのでしょうね?
源氏の中の男どもは、
子供だらけです。

源氏物語は、特殊な貴族社会の物語ですね。
「恋愛」という言葉も後世のものだし……。
女性の自由も限りなく少ないし時代背景ですし……。
私自身も一応は「男」なので、紫式部に見透かされて
いるような気がして、恥ずかしい限りです。
環境や舞台は変わっても、その物語の中に、
現代にも通用する「普遍」が書かれているのが
「源氏物語」の凄さでしょうね。

TBSのTVドラマ『源氏物語』で、
沢田研二を主役の「光源氏」に配した
演出家の久世光彦(てるひこ)さんも亡くなっちゃし、
何だか世の中、寂しくなりましたねぇ。

いつの間にか数ヶ月が経ち、
日経版をお届けすることも出来ました。

ばたばたしていると、
大事なものを、
落としてしまいます。

気をつけなければ。



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